5 パリ講和会議
a0226578_10172102.jpg
(第一学習社「最新世界史図表」より)
1)ヴェルサイユ条約調印
 1919年1月、フランスのパリで連合国とドイツとの間の戦争状態を終わらせるための講和会議が開かれ、西園寺公望を全権とする日本の代表団を含めた27か国が参加し、ヴェルサイユ条約が調印された。この条約は、はじめウィルソンが理想主義的な原則をかかげたにもかかわらず、実際には大国の利害にもとづくもので、ドイツに対する条件は苛酷であった。
a0226578_10193284.jpg
(第一学習社「最新世界史図表」より)
 ドイツは多くの領土・海外植民地を失い、巨額な賠償金支払義務を負わされ、空軍の保有を禁止され、また、陸海軍も大幅な軍備制限を受けた。民族自決の方針もソ連に隣接する東欧以外は認められず、ドイツの植民地は国際連盟の委任統治領として、事実上、戦勝国に分割支配されることになった。
2)日本はドイツの権益を受け継ぐ
 日本はパリ講和会議において、山東半島の領土権を中国に返還することは承認したが、ドイツの持っていた山東省の権益を引き継ぐことを認めさせ、赤道以北の旧ドイツ領南洋諸島を国際連盟から委任統治することになった。
 しかし、日本が山東の旧ドイツ権益を継承したことに対して、中国では激しい反対運動が起こった。1919年5月4日、北京では学生を中心とする大規模なデモが起こり、ヴェルサイユ条約調印反対の声が高まり、日本商品のボイコットが全国的に広まった。これがいわゆる五・四運動である。
 また、朝鮮においても同年の初めごろから日本の支配に反対し、独立を求める機運が高まりつつあったが、同年3月1日、ソウルにおいて「独立万歳」を叫ぶ集会が行われ、独立運動は朝鮮各地に広まったがこれが三・一独立運動である。
a0226578_10204044.jpg
(三省堂「日本史B」より)
3)国際連盟の成立
 1920年、ウィルソン米大統領の提唱で、国際紛争処理機関として国際連盟が設立され、日本はイギリス・フランス・イタリアとともに常任理事国となった。しかし、提唱国のアメリカは上院の反対で参加せず、敗戦国のドイツと社会主義国のソ連は参加できなかった。
 また、ロシア国名の影響もあって、欧米では普通選挙制や社会政策などを実施し、国際連盟の付属機関として、労働問題についての勧告や調停を行う国際労働機関(ILO)が設立された。さらに、平和を求める国際世論と戦後の不況のなかで、軍縮が大きな課題になった。
次回の第60回日本史講座は、5月27日(土)午後2時よりおこなう予定です。
[PR]