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歴史のとびら① 琥珀に輝くウィスキー

 酒は人類の歴史とともに古く、世界のあらゆる所で作られてきた。日本には日本酒、中国には老酒、フランスにはワイン、ドイツにはビール、ロシアにはウォッカ、そしてイギリスにはウィスキーがある。
 その中で一番古い酒は何か。おそらくワインであろう。ワインは人類がまだ農耕を知らない時代に、貴重な栄養源(とくに炭水化物)をとるために、ぶどうを容器に入れて保管しておくところから作られたものであると思われる。次に古いのはビールで、今から5000年ほど前に、メソポタミアのシュメール人たちによって作られていたという資料が残されている。
 さて、ウィスキーは、穀物を原料とした蒸留酒を樽に貯蔵した酒である。その歴史は、ワインやビールに比べはるかに新しく、今から1000年ほど前にアイルランドの錬金術師たちによって、はじめて作られたと言われる。彼らはこの蒸留酒を「ウィスゲ・バハ」(生命の水)と名づけ、これがウィスキーの語源になっている。アイルランドからスコットランドに蒸留の技術が伝わったのは、ヘンリー2世がアイルランドに遠征した時(1170年)と言われている。
 ウィスキーが名酒であると言われるのは、なんといっても、あの妖しく輝く琥珀色と特有の香りにある。ところが、この色と香りは、最初のころのウィスキーにはなかった。当初は蒸留した無色透明のものを、貯蔵熟成させずにそのまま飲んでいたのである。
 現在のウィスキーが誕生したのは、1790年代にイギリス政府が、ウィスキーの製造に必要な蒸留器の免許に15倍の税を課したことに由来する。
 18世紀のイギリスは、絶対主義国家として発展してきたフランスと、インドや北アメリカなどの植民地をめぐって激しく争っていた時代であった。
 このような戦争に勝利するために、イギリス政府は増税が必要となり、大衆の酒であったジン(トウモノコシと麦を原料とし、杜松(ねず)の実で香りをつけた蒸留酒)やウィスキーに目をつけたのである。すでに17世紀にはビールに大幅な課税がされていた。
 さて、スコットランドのウィスキー業者の一部は、この大幅な課税に反対して山に入り、密造酒を作るようになった。山の中に埋もれているピート(泥炭)を燃やすことにした。その上、できたウィスキーを一度に山から下ろすのは人目について危険であったため、貯めておいて少しずつ売ることにした。そのためにはたくさんの樽が必要であり、そこで使い捨てられていたシェリーの空き樽をもらってきて貯蔵することにした。
 この貯蔵したウィスキーは、シェリーの匂いをかすかに持った木香(きか)が移って、これまでにないすばらしい香りがつき、その上、樽からはみごとな琥珀の色が出てきて、味も熟成によって丸くなめらかなものに変わった。
 それ以来、スコッチ・ウィスキーは、ピートの煙をしみ込ませたモルト(大麦麦芽)を原料にし、20年以上使用したシェリーの古樽に貯蔵し、熟成させるようになったのである。
 つまり、現在のウィスキーは、1790年代にイギリス政府が行った課税に対する、業者の抵抗運動のなかで生まれたものなのである。
 (参考文献) 小泉武夫 『酒の話』 講談社現代新書 1982年
by YAMATAKE1949 | 2011-08-27 16:44 | 歴史のとびら