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第21回世界史講座のまとめ②(宮廷と都市)

4 宮廷と都市
 スルタンや高官は、領内の諸都市に宗教施設や商業施設を寄進・建設し、都市は、経済・文化の中心となった。
 文人たちはトルコ語を用いて歴史書や文学書をあらわし、建築では、円屋根(ドーム)と尖塔を特徴とするトルコ式のモスクが各地に建築され、絵画では、ミニアチュール(細密画)と呼ばれ、戦争や宮廷行事や祭礼など現実的なテーマ、写実的な描写が好まれた。
 本来、モスクの塔(ミナレット)はイスラム教徒にお祈りの時を告げるために建てられたものであるが、しだいに装飾性の強いものとなっていった。私は世界各地のモスクを見学したが、ミナレットは、イスラム建築で重要な役割を果たしている。
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スレイマニエ・モスク(スレイマン1世の命令により、金角湾をみおろすイスタンブルの中心地に建設された。1550年に着工され、7年後に完成した。中央の大ドームの周囲に小ドームを配し、トルコのモスク建築の代表作とされる。)(東京書籍「新選世界史B」より)私も昔、このモスクを訪れたが、だれでも無料で入ることができた。下に敷いてあるカーペットは擦り切れており、お祈りをする人もおれば、身体を休めている人もいた。とにかく大きなモスクであったというのが印象に残っている。
5 イランのサファヴィー朝
 16世紀初めに、イスラム神秘主義教団の教主イスマーイールがイランの支配権を握り、サファヴィー朝を樹立した。国王は、シャーを名のり、シーア派の十二イマーム派を国教としてオスマン帝国やムガル帝国と交戦した。
 十二イマーム派というのは、シーア派の中心をなす宗派で、第4代カリフ、アリーを初代のイマーム(最高指導者)とし、第12代イマーム、ムハンマド=アルムンタザルが終末に再臨すると考える宗派である。現在のイランもこの宗派が国教となっており、人口の98%がこの信徒である。
 16世紀に現れた、アッバース1世は都をイスファハーンに移したが、この都のバザールには遠来の商人が集い、人口は50万人をこえ、「世界の半分」といわれるほど栄えた。
 現在のイランの首都はテヘランであり、私が12年前にイスファハーンを訪れたときには、この町は観光都市として静かなたたずまいを見せていた。
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イスファハーンの「王のモスク」(イラン中部のイスファハーンは、アッバース1世在位中の16世紀末にサファヴィー朝の首都となり、「イスファハーンは世界の半分」と称されるほど繁栄した。ここに建設された壮麗なモスクは、青を基調としたアラベスクのタイルに覆われ、イスラム建築の中でも屈指の美しさを誇る。(東京法令「世界史のミュージアム」より)
by YAMATAKE1949 | 2012-06-25 07:18 | 世界史講座