キリスト教の伝来④
リッチの最初の有力な弟子となったのが、瞿太素(くたいそ)であった。彼の父は高官を歴任した人物であったが、彼は錬金術に凝り官吏にはなれなかった。当時、天文学や化学に心得のあるリッチは優秀な錬金術師であるという評判がたち、彼は錬金術を学ぶためにリッチのもとにはいったが、西洋科学のすばらしさに目覚め、リッチの弟子として活躍するのである。リッチの弟子で中国におけるキリスト教布教に大きな役割を果たしたのは除光啓である。彼がリッチのもとに入ったきっかけは、リッチの作製した世界地図を見て驚き、その作者を南京に訪ね、天地万物の創造者の話を聞いたことによる。彼は中央官庁の高官であるとともに『農政全書』の編者でもあり、明代一流の学者であった。彼がリッチと『幾何学原本』などの西洋自然科学書の翻訳書を出版したのは、単に西洋のすばらしい学術書を中国に移植するというだけでなく、西洋人がいかに物事を入念に究めているか、ものの原理の確証に努めているかを示すことによって、キリスト教自体の優秀性を明らかにしようとしたものである。
リッチや彼の弟子たちの努力によって信者の数は、1627年には読書人で数百人、全国で4万人にのぼったといわれる。しかし、このようなイエズス会の布教活動に対し批判が加えられた、それが典礼問題である。