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洪秀全(太平天国の天王)②

 <課題>
① アヘン戦争以後、活発となった秘密結社や宗教集団のなかで、なぜ洪秀全が組織した太平天国が清朝政府と対抗するほどの大きな力をもつことができたのかを明らかにする。
② 太平天国が大きく発展した理由には、農村で進められていた抗租・抗糧闘争が背景にあったことを明らかにする。
③ 太平天国に対してイギリスなどの列強がどのような行動をとったのか、その頃の国際的な背景と北京条約以後の列強の太平天国に対する対応を明らかにする。
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アヘン戦争(東京法令「世界史のミュージアム」より)
<資料と解説> 
[1]
洪秀全はどのような青春時代を過ごしたのだろうか
(資料1)
洪秀全は1814年に広東省花県の中農の子として生まれた。父親は実直な農民で客家の人であった。洪秀全は幼児から学を好み、7歳で塾に入って書を読んだ。5、6年の間に、四書、五経、孝経と多くの古典を熟読し、その後さらに中国の歴史書と雑多な書物を自習したが、一度読むとすぐ内容を理解し た。学問をはじめてからいくらもたたないうちに、その教師と家族から称賛されるようになった。…洪秀全が16歳の時、父は家計が困難なために、かれにこれ以上学問をつづけさせることができなくなった。そのため洪秀全は農業の手助けをしたり、山野で牛の放牧をしたりした。…1年たつと、一族の者とその友人たちは、みな洪秀全の学識をみとめて、…その村の塾の教師としたので、また学問の研究をつづけ、人格の修養をつむことができるようになった。…かれは1828年16歳の時に、考試受験の生活に入り、のち数回にわ たり、広州に行って秀才の試験を受けたが、その結果はすべて失敗に終わった。(牟安世著・依田憙家訳『太平天 国』新人物往来社)
(解説)
  客家というのは、明代に入って福建から広東、広西に移住してきた新来者のことである。広東人と同じように、人種的には漢人であるが、言語も風俗、習慣も広東人と全くといっていいほどちがっていて、たがいに対立感情が強い。客家は、すでに地味の肥沃なところは広東人に占有されているので、地のやせているところとか、山あいの地に住まなければならない。それだけ経済的には苦しいのであるが、それゆえにきわめて勤勉であり、また質素でもあった。洪秀全が太平天国を組織すると多くの客家がこれに参加するようになったのは、このような状況による。洪秀全が親戚や友人たちの期待を背負って何回も科挙に受験したが、ことごとく失敗した。失敗の原因は、試験の成績が悪かったためではなく、当時の試験制度の弊害(試験官などに対する付け届けなど)や客家に対する差別があったと考えられる。このような科挙試験の失敗は、洪秀全を反政府運動にかりたてる原動力になったと考えられる。
[2]
 洪秀全が上帝会を組織するようになったのはどのような理由によるのか
(資料2)
 洪秀全が25歳の時、無数の天使が天よりくだり、かれらとともに昇天するように告げるのを見た。…天父上主皇上帝に会うと、…上帝は洪秀全に妖魔の頭を追い払うことを命じた。…そして妖魔を糾弾し、孔子の著書の多くの 誤りを追求することを命じた。…その時上帝は洪秀全に命じて妖魔と戦うにあたり、印綬と剣を賜い、多くの天使とともに妖魔を天から追い落とさせた。…戦いに勝って天に帰ると上帝はたいそう喜び、洪秀全を「太平天王大道王全」に封じた。…洪秀全は上帝 天兄キリストと別れて下界にくだろうとする時、去りがたい思いであった。すると上帝はいった。「恐れるな、大胆にふるまえ、どんな困難があろうとも、私がついている。その時々の情勢に応じて適当な方法をもちいればなにを恐れることがあろうか!」と。洪秀全は三月一日に昇天し、下界に送り返された時は約四十日余りたっていた。(牟安世著・依田憙家訳『太平天国』新人物往来社)
(解説)
  洪秀全が1837年に再び科挙の受験を試みたが失敗し、落胆のあまり病気になった。このとき見た夢が(資料2)に書かれたものである。この夢を見てから6年目、洪秀全は以前に入手していた「勧世良言」というキリスト教の入門書を改めて読む機会を得た。そしてそこに書かれていたことは、かれが6年前に見た夢と一致するものであった。かれは早速この書物に書かれている方法で、自ら洗礼を行なうことにした。そして1843年6月、同郷の友人である馮馬山とともに上帝会という宗教結社をはじめるのである。このように洪秀全が上帝会を組織する上において、夢の内容は重要な意味をもっているのである。しかし、増井氏によると「この夢のどこにキリスト教的な要素があるのか、そこには原罪の意識もなければ、偶像破壊の意欲も見えない。洪秀全はただ夢の中に、従来の権威にはげしい反抗を感じたにすぎない。」と指摘されているように、洪秀全自身はキリスト教を信じていたが、客観的にはキリスト教の形をした新興宗教と見做したほうがよいのではないか。
 
by YAMATAKE1949 | 2012-08-17 08:37 | 人物世界史