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孫文(中国革命の父)④

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 三民主義とはどのようなものであったか
(史料1)「民報」発刊のことば
私は欧米の進化は三大主義にあると思う。それは民族・民権・民生である。ローマが滅び、民族主義がおこって、欧米各国が独立した。やがてそれぞれ自分たちもその国を帝国とし、専制政治をおこない、被支配者はその苦しみにたえられなくなり、民権主義がおこった。18世紀の末、19世紀の初め、専制政体がたおれて立憲政体がふえた。世界は文明化し、人智がますます発達し、物質がいよいよ豊かになり、この100年、1000年にまして発達した。経済問題が政治問題のあとをついでおこり、民生主義がひとり舞台の時代となるにちがいない。この三大主義はみな民衆に基礎をおき、相ついでおこってきており、欧米の人々はおかげでゆったりと生活してきた。さらに小さな仲間から大衆のなかにまでゆきわたって いて、あたりまえな話となつているのは、この三つの主義が、申し分なく行なわれて、すみずみまでおよんでいるからにほかならない。いま、中国は千年来の専制の毒気から解放されていないで、異民族の迫害をうけ、外国の圧力がせまってきていて、民族主義、民権主義の点で、一刻もほうっておけない。ところが民生主義では、欧米が長年の因襲が改めにくくてこまっているのに、中国だけはまだ社会の弊害がひどくなくて、除きやすいのである。(中村義訳『東洋史史料集成』平凡社)
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(帝国書院「タペストリー」より
(解説)
  戊戌の政変による改革派の失敗と、義和団運動の敗北によって、革命派の勢力が次第に増大することとなった。当時結成された秘密結社の中では、前述した興中会の他に、黄興らの華興会、章炳麟の光復会が有名である。1905年、これらの結社は孫文を中心に合同し、中国同盟会が東京で結成され、機関誌「民報」が発行された。そして、三民主義の教理が、孫文によってはっきり打ち出されたのは、この発刊のことばからである。三民主義は、中国民族による共和国建設のための政治革命と同時に、社会革命も行なう必要があると唱えたのである。当時において最大の衝撃を与えたのは、伝統的な皇帝の存在を否定し、共和制を主張したことであり、保守的な中国の知識層を動揺させた。「民報」の発行部数は当初3000部であったが、半年余りで1万部を超え、その後は4万~5万部に達したといわれる。在日留学生ばかりでなく、ひそかに清国へ持ち込まれ、青年たちの間で広く読まれた。このような同盟会の成長は、やがて辛亥革命をもたらすのである。

 
by YAMATAKE1949 | 2012-09-09 09:53 | 人物世界史