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唐宋変革期をどう教えるか⑤

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(東京法令「世界史のミュージアム」より)
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(私が作成した図であるが手書きの部分は研究会で指摘され追加した)
4)宋代社会のしくみ
(皇帝)皇帝権力を牽制していた貴族が没落したことにより、宋代では皇帝独裁体制が確立した。制度としては三省制を廃止して宰相を複数とし、権力を特定の臣下に集中させないようにして皇帝独裁の確立をはかったのである。宋朝は、各地に存在する大土地所有者を新政権に吸収するために科挙を整備し、地主を官僚化した。しかも、科挙に及第した地主には官戸として免役などの特権を付与された。また趙匡胤(太祖)は殿試を創設し、科挙出身の全官僚を天子の門下生として皇帝に直属させ、忠誠をつくさせることに成功した。
 (地主=官僚)宋朝政権は、主戸(自作農=中小農民)をその基礎としながら、大土地所有の現状や佃戸を耕作者とする荘園経営を認めることにより、地主(形勢戸)を政権の支柱とした。地方の有力な地主は、大土地所有制を経済的基礎として士大夫と呼ばれる新しい階級を形成した。彼らは、儒教的教養により科挙に及第し、官僚となり国政に参与した。士大夫階級は、大土地所有制を基盤として、さらに資産を商業資本や高利貸し資本へも投ずるなど、その確保と増大をはかり、経済的・社会的特権を確保することに努めた。ここに地主=官僚=商人という三位一体の士大夫層が現れたといえる。
 (佃戸)一口に佃戸といっても、一切の生産手段から切り離されて奴隷に近い状態の者から、独立した家屋に住み農具・耕牛などある程度の生産手段をもって自立経営を営む者まで、その内容はかなり多様であった。当時の佃戸の一般的状態を見ると、まず、佃戸は地主に対して5割前後の租を納めた。また、租を納めるとき鶏・薪・米などを手みやげとして要求されることもあった。毎年、端境期や冠婚葬祭・凶作にあうと、佃戸は地主から銭米を借りて急場をしのいだが、その利息は10割にも達した。収穫期になっても、利息と元金を返してしまうと佃戸の手もとには何ほども残らないという状態であった。(有斐閣ブックス『世界歴史の基礎知識』参照)
by YAMATAKE1949 | 2012-12-08 09:30 | 授業実践