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唐宋変革期をどう教えるか⑦

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(東京法令「世界史のミュージアム」より)
2) 五代から宋へ(省略)
3) 宋の社会
(発問)
① 王安石の改革は何をめざしたものであったのか、そのためにどのような人たちを保護育成しようとしたのかを考えさせる。また、司馬光はなぜ反対したのか、どのような人たちが反対したのかを考えさせる。
② 教科書の「耕植図」を見て稲作がどのようにして行われていたかを理解させる。 
また、図の中の竜骨車で何をしているのか考えさせる。
③ 教科書の北宋の都の開封を描いた「清明上河図」を見て当時の開封がいかに繁栄していたかを理解させ、なぜそのような繁栄がもたらされたのかを考えさせる。
④ 生徒には、「進んだヨーロッパと遅れたアジア」という意識が強いが、10世紀前後に二毛作や二期作が行われていた中国の農法と、11~12世紀のヨーロッパの三圃制農法を比較させてどちらが進んでいたかを考えさせる。
⑤ 英語でchinaとはどのような意味かを発問し、それが陶磁器という意味もあり、なぜこのような名前が使用されているのかを考えさせる。また、景徳鎮の陶磁器が、日本の焼き物に大きな影響を与えただけでなく、世界中に陶磁器を普及させていったことを考えさせる。
⑥ なぜ宋の時代に交子・会子などの紙幣が現れたのかを考えさせる。
(解説)
 宋代において、特に農業生産力が飛躍的に伸びた地域は江南地方であった。この地方では、水田開発とともに水稲栽培技術が一新された。苗代仕立てによる移植、人糞、堆肥、さらに竜骨車といわれる灌排水用の足踏み水車をはじめ各種の新しい農具が現れた。これに伴い稲の品種も早生・中稲・晩稲と多様化し、特に占城稲と呼ばれる早稲がヴェトナム中部から導入されて急速に普及し、華中では稲と裏作の麦との組み合わせによる二毛作が広く行われるようになり、江南では二期作も見られるようになった。このような農業生産力の発展を基礎に、広範な商品経済が発展した。まず農産品から見ると、醸造用の米と麦が流通過程に投ぜられた。特に茶は唐代以降著しく普及し、宋代には大衆飲料としての地位を確立した。手工業では古代以来の絹織物がさらに発展し、河北・山東・浙江・江東・四川が高級品生産の中心となった。宋代に大きな躍進を見せたのは陶磁器業で、特に景徳鎮と竜泉が盛んとなった。これらの製陶業では青磁や白磁の高級品のみではなく、大量の日用品も生産されたのであった。こうした諸物資の全国的な流通とともに、それを媒介する都市の機構と商業の組織も大きく変化した。唐代までの都市は基本的に政治都市であり、そこでの庶民の生活は厳しい統制の下に置かれていた。しかし、宋代になると、そのような規制は崩れ、自由に商工業が営まれるようになった。だいたいは同業種の商工業者が一画に集住し、商人の組合である「行」、手工業者の組合である「作」を組織して共同の利益を図るようになった。このような商業の拡大は、前代をはるかに上回る通貨需要を引き起こした。宋代では大量の銅銭鋳造が行われたが、それでも商品流通の増大を賄いきれず、対外貿易による銅銭の国内流出と相まって、通貨不足を引き起こし、交子や会子と呼ばれる紙幣の発行を促すこととなったのである。
by YAMATAKE1949 | 2012-12-10 08:25 | 授業実践