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トレヴィシックとスティーヴンソン⑤

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トレヴィシックの蒸気機関車
 
 
 【3】
トレヴィシックの発明した蒸気機関車はどのような弱点をもっていたのか
(資料3)
 トレヴィシックが蒸気機関車の建造とその運転の実験にはじめて大きな成功をおさめたのは、1803年から1804年にかけてである。この機関車の原動機は模型のシリンダーをもち、ピストンの運動は、連結棒、クランクを使って歯車装置をつうじて動輪に伝えられた。機関車の実験は公開でおこなわれた。トレヴィシックの機関車は、およそ10トンの貨物(鉄)と約70人の乗客を約15㎞以上も運んだ。速度はおよそ時速8㎞であった。この実験に関する記事は当時の新聞に載せられ、熱狂的にとりあつかわれた。のちに(1808年)自分の発明した原理を普及するために、トレヴィシックは、ロンドンにテストとアトラクションを兼ねる環状鉄道を敷設した。機関車は時速約24~32㎞で走った。のちにレールの破損が原因で機関車が転覆したため、すでに機関車の建設にかなりの資金を使っていたトレヴィシックは、その他のテストを断念しなければならなかった。(ソ連科学アカデミー編・金光不二夫他訳『世界技術史』大月書店)


(解説)
 イギリスでは16世紀中ごろから木炭や薪にかわって燃料として石炭が利用されていた。そのため石炭採掘に際して、坑内の排水のためにニューコメンやワットにより蒸気機関が発明されていた。銀鉱山の技師であったトレヴィシックは、高圧蒸気機関の先駆者であった。高圧蒸気の応用は単位重量当たりの馬力の増加を意味し、機関が軽くなってきたとき、これらの機関を運輸に使う可能性が生まれてきた。そして、上の資料のような蒸気機関車が製作されたのである。しかし、彼の蒸気機関車は実用化されなかった。それは、燃料の効率が悪いためにまだまだ大型の蒸気機関が必要であり、蒸気機関と積荷の重さに耐えられずレールが破損してしまったからである。
by YAMATAKE1949 | 2013-04-23 10:01 | 人物世界史