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トレヴィシックとスティーヴンソン⑦

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(イギリスの鐵道網)
【5】
 なぜ鉄道網がイギリス国内で急速に拡大していったのか
(資料5)
 建設された鉄道は、輸送コストを大幅に引き下げた。たとえば、マンチェスター・リヴァプール間の乗合馬車の運賃が10シリング(片道4時間)であったのにたいし、有蓋列車では5シリング、無蓋列車では3シリング6ペンス(片道1時間半)であった。旅行が楽で運賃が比較的安かったため、鉄道の乗客数は1年で16万5000人だったが、1832年にこの2つの都市を往来した人は約35万7000人、1835年は約50万4000人に達した。この路線が赤字でなかったことは当然である(1832年の純益は約6万ポンド、1835年は約8万4000ポンドであった)。この経済効果こそが、鉄道を普及させた最も大きな原因である。(前掲『世界技術史』)
*当時のイギリスの通貨は、1ポンド=20シリング 1シリング=12ペンスでした。
(解説)
 上の資料のように、馬車と鉄道の差は運賃で半額以下、時間も3分の1に短縮されたのである。このような理由で、地図に見られるようにイギリス国内では瞬く間に鉄道網が拡大されていったのである。このイギリス鉄道の大成功に目をつけたのがロスチャイルド家であった。オーストリアのロスチャイルド家のサロモンが1835年に帝国政府から鉄道事業免許証を取り付けて、ウィーンとボヘミア間に、およそ96㎞で着工させた。これがヨーロッパ大陸初の鉄道となった。パリのロスチャイルド家のジェームズも大々的に鉄道事業に乗り出した。まずセーヌ川沿いにパリとサン・ジェルマンの間、さらにパリとヴェルサイユの間に鉄道を完成させ、ついでフランスの北部諸都市とパリを結ぶ北方鉄道がパリ・ロスチャイルド家の最大の資産になる。このほかロスチャイルド兄弟はベルギーの鉄道建設に融資するなど、ヨーロッパ鉄道にいたるところで関与した。(横山三四郎『ロスチャイルド家』講談社新書 参照)
by YAMATAKE1949 | 2013-04-25 09:16 | 人物世界史