イスラエル旅行記⑫(ヴィア・ドロローサ)
「嘆きの壁」を見学した後、私たちはアラブ人の商店街を通って「ヴィア・ドロローサ」(悲しみの道)へとむかった。
「ヴィア・ドロローサ」(悲しみの道)は、イエスがローマ総督のピラトの官邸で行われた裁判で死刑とされてから、十字架を背負って死刑場となったゴルゴタの丘への全長1㎞の道をラテン語で「悲しみの道」と呼ばれているのである。「ヴィア・ドロローサ」は第1ステーションのピラトの官邸からゴルゴタにある聖墳墓教会まで14ステーションある。私たちは第1ステーションのピラトの官邸のあった場所(現在はオマリエ学校)から歩いて第2ステーションの「鞭打ちの教会」を見学した。ここで十字架を背負わされたイエスは、茨の冠を被せられ、ローマ兵に鞭打たれる。
この教会のステンドグラスにはイエスが鞭打たれている様子が描かれている。また、祭壇上のドームには茨の冠も飾られている。
また、この教会には紫の服を着せられたイエスの壁画が飾られている。新約聖書によると、ピラトの兵士たちは、ふざけてイエスを「ユダヤ人の王」といって紫の服を着せたと書かれている。紫色は高貴な人が着るものであるから。
第2から第3ステーションに行くまでの間に、有名な「エッケ・ホモ・アーチ」がある。「エッケ・ホモ」とは、ラテン語で「この人を見よ」という意味である。この場所でピラト総督が茨の冠を被り、紫の服を着て出てきたイエスを指していった言葉からきている。このアーチは、135年にローマのハドリアヌス帝がエルサレム征服を記念し、建造した三重の凱旋門の一部が残ったものである。
第3ステーションは「イエスが十字架の重みに耐えかね、最初につまずいた場所」である。現在この場所には、ポーランド・カトリック教会がある。
ここは、母マリアが群衆に混じってイエスを見守ったとされる場所であり、それを記念して現在アルメニア・カトリック教会が建てられている。
新約聖書によると、「そこへ、シモンというクレネ人が、田舎から出てきて通りかかったので、兵士たちはイエスの十字架を無理に担がせた。」と書かれている。この場所が第5ステーションである。
この場所でベロニカという女性が、イエスの顔を拭ったという逸話があり、現在はベロニカ教会がある。
ここは、イエスが2度目に倒れた場所を記念して第7ステーションとされた。この門にイエスの死刑判決文が貼り出されたことから、「判決の門」と呼ばれる。
新約聖書によるとイエスは、「エルサレムの娘たち、私のために泣くな、むしろ、自分と自分の子供たちのために泣け」と語ったが、この場所が第8ステーションである。現在建っているギリシア正教会の壁に、記念の十字架がはめ込まれている。
ここはイエスが3度目に倒れた場所であり、コプト教会の入口にある。第10ステーションから第14ステーションは聖墳墓教会の内部にある。