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世界史演習⑫(朝鮮史9)

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(ハンリム出版社「韓国の歴史」より)
3) 壬午軍乱
 江華条約以来、日本の略奪的な対朝鮮貿易は、物価の高騰をもたらし朝鮮民衆を苦しめ、反日感情が高まっていった。
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(ハンリム出版社「韓国の歴史」より)
 一方、日本の介入を受け入れて軍制を改め新式軍隊として別技軍を設け、日本人を軍事教官として招いた。閔氏一派が旧式の軍隊を差別待遇したことから、1882年に不満を持った兵士と貧しいソウルの市民が合流して起こったのが壬午軍乱である。
 兵士たちは政府高官を殺傷し、日本人教官を殺して日本公使館を襲撃した。この時、兵士に人気のある大院君が政権についたが、朝鮮に勢力を扶植する機会をねらっていた清が軍隊を出動させて、大院君を清に連れ去った。
 この結果、閔氏一派は政権の維持には成功したが、親清政策をとらざるをえなくなった。
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(ハンリム出版社「韓国の歴史」より)
4) 甲申政変
 甲申政変でリーダーシップをとったのは金玉均である。この人物については、私のブログの「歴史のとびら⑦」に「金玉均の悲劇」として書いているので、その文章の一部を紹介します。
「 金玉均は、朝鮮の近代的改革をおこなうためには、閔氏一族を打倒する以外にないと考え、朴泳孝・洪英埴などの名門貴族出身者とともに開化派を組織した。そして、清仏戦争で清軍が打撃を受けた1884年に行動を起こすことを決定するのである。
 彼らの計画は次のようなものであった。郵政局の新築竣工パーティー時に隣の建物に放火し、その混乱を利用して、パーティーに出席していた閔氏一族を暗殺する。そして、国王を保護し、その間に新政府の綱領を発表する。もし清軍が行動を起こした時には、日本駐留軍がこれを迎え撃つ。日本の駐朝公使である竹添進一郎も協力を約束した。
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(ハンリム出版社「韓国の歴史」より)
 1884年、12月4日、クーデターは計画通りに実施され、12月6日には14カ条の新政府綱領が発表された。しかし、閔氏の要請を受けた清軍は、袁世凱の指揮で12月6日午後3時ごろ攻撃を開始した。当時、ソウルには清軍2000あまりが駐在し、日本軍はわずか200あまりであった。多数の清軍の侵入に驚いた日本軍は、約束を破って逃亡し、残された約100名の開化派の軍隊が最後まで戦ったが敗れ、金玉均の政権は文字通り「三日天下」に終わった。これが「甲申政変」と呼ばれるものである。」
by YAMATAKE1949 | 2013-09-28 08:41 | 授業実践