第45 回世界史講座のまとめ②(分断された西アジア)
第一次世界大戦中、連合国が西アジアの分割や独立について結んだ秘密協定は、相互に矛盾するものであった。そのため、アラブ独立の約束は実行されず、フランスはシリアを、イギリスはイラクとパレスティナを委任統治というかたちで支配した。しかしアラブ人の民族運動が高まると、1932年にイギリスはイラク王国の成立を認めた。
パレスティナでは、イギリスがバルフォア宣言にもとづいてユダヤ人移民を認め、欧米諸国から移住がはじまった。やがてアラブ人との対立が生じたが、1930年代なかばにドイツでナチスによるユダヤ人迫害がおこると移民は激増し、対立ははげしくなった。これは第二次世界大戦後のパレスティナ問題の原因となった。
これら西アジア地域には、石炭にかわるエネルギー源として重要性をましていた石油が豊富に埋蔵されていたため、欧米列強の資本が大量に投下され、独立した国々も、結局は列強の圧力を受けることになった。また、欧米の資本や文化の進出に対して、ムスリム同胞団のように、イスラーム国家を樹立して伝統的なイ
スラーム文化を維持しようとする動きもあった。さらに、人為的な国境により民族が分断されるなど、のちの民族紛争の原因が形づくられた。