行基の足跡をたずねて③
資料によると、華林寺は「真言宗。行基13歳のとき(680年)母方の蜂田連が氏寺として創建した。本寺に伝えられる行基13歳の有髪絵画は全国的にも例がなく、毎年旧暦2月2日の命日に掲示してお勤めが行われる。」とある。
資料にある母方の蜂田連の連(むらじ)というのは、伴造(とものみやつこ)系の中央の最有力豪族に多い。また、おそらく蜂田という名前から現在の八田という地名がつけられたのであろう。
私たちは資料に書いてあった行基の13歳の有髪絵画を見ようと本堂の中を見せてもらったが、残念ながら見つけることができなかった。
華林寺の次の目的地は鈴の宮蜂田神社で、出発地点から6,9㎞ある。
資料によると、この神社は「行基の母方の蜂田連の祖先、天児屋根命を祀る。蜂田連が土焼きの鈴12個を作り、毎年春の初めに神前に供え、鈴音の良し悪しでその年の吉凶を占ったという故事より「鈴の宮」と呼ばれる。」と書かれている。
資料にある天児屋根命(あめのこやねのみこと)とは、高天原(たかまがはら)で祭祀をつかさどる興台産霊神(こことむすびのかみ)(天照大神の子)の子で、天照大神の侍臣(じしん) として仕えていた。天照大神(あまてらすおおみかみ)も、うっとりと聞き惚(ほ)れて、ついに天の岩戸を開けてしまったという美声の持ち主であったといわれている。
写真には干支の形をした土焼きの鈴が12個並べられているが、これはわざわざ今日のために置かれたということである。