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世界史演習35(キリスト教の歴史⑧)

3) キリスト教の発展
 キリスト教はローマの支配に苦しむ下層民や、現世に救いの希望がもてない奴隷の間に広まった。各地に信徒の団体(教会)がつくられる一方、イエスの言行を記した四『福音書』(マタイ・マルコ・ルカ・ヨハネ)や使徒たちの手紙など27巻からなる『新約聖書』が2世紀までにまとめられて教典とされた。3世紀には、キリスト教は下層民だけでなく、上層民にも広がっていった。
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(ディオクレティアヌステイ帝 ウィキペディアより)
 3世紀末に即位したディオクレティアヌス帝は、皇帝権力を強化して専制支配をうち立てた。しかし、キリスト教徒が皇帝崇拝を拒否したため、彼らに対する大迫害を行い、多くの殉教者を出したが、すでに住民の1割に達していたキリスト教徒を敵とすることはもはや不可能であった。
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(東京法令「世界史のミュージアム」より)
 次に専制権力を握ったコンスタンティヌス帝は、313年にミラノ勅令を出してキリスト教を公認した。
(問 なぜローマ帝国は、キリスト教を公認したのか。)
(答 キリスト教はローマ帝国全体に広がり、もはやキリスト教を迫害してはローマ帝国の統一が維持できないことが明らかとなったため。)
 ローマ帝国内でキリスト教徒が増えてくると、イエスは神か人間かという教義をめぐってキリスト教徒の中で対立がおこった。そこでコンスタンティヌス帝は、325年にニケーア公会議を開き、父なる神と子なるイエスと精霊を一体と見なすアタナシウスの三位一体説を正統教義とした。一方、イエスを人間と見なすアリウス派を異端として退けた。
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(帝国書院「タペストリー」より)
 次のテオドシウス帝は392年、正統派のキリスト教をローマ帝国の国教とし、他の宗教を禁止したためキリスト教はローマ帝国内で発展をとげた。
by YAMATAKE1949 | 2013-12-08 10:12 | 授業実践