中央ヨーロッパ旅行記⑥(ブダペスト 聖イシュトヴァーン教会)
この教会は19世紀半ばに着工され、20世紀初頭に完成した。ドームの高さは96mで、これはマジャール人の英雄アルパードが6人の部族長たちと共に、カルパチア盆地に入ってきた年の896年に数字を合わせたものである。
教会内部の撮影は認められたがフラッシュは禁止されたのできれいな写真は撮れなかった。さて、イシュトヴァーンについては何度も紹介してきたが、彼はハンガリーの初代国王でありながら、マジャール人をカトリックに改宗させ、キリスト教の布教に専念した人物として聖職者でもあった。教会の祭壇は二重の十字架を手にした彼の石像で飾られている。
ドームの下に、イシュトヴァーンのたった1人の息子で王位継承者だったイムレ王子の石像がある。
イムレが寄り添っているのは、息子の教育者としてイタリアから招かれたゲレルトである。ゲレルトは後の異教徒が反乱を起こしたときに、樽に詰められ、丘の上からドナウ川に突き落とされて殉死した。その丘は現在、ゲレルトの丘と呼ばれている。
イシュトヴァーンは、ハンガリーをキリスト教の国として存続させようとして息子に宣教師をつけて教育した。しかし、若き息子イムレは狩りの最中、イノシシに突き刺されて不慮の死を遂げる。この教会の壁には、この時のイシュトヴァーンの心情を現した大きな絵画が掲げられている。
私たちがこの教会を訪れたのは1月28日で、クリスマスから1ヶ月以上経っていたが、まだもみの木が置かれており、絵画の全体像は見えなかった。そのため、どのような絵が描かれていたのかを「旅名人ブックス『ハンガリー』よりお借りしてここに紹介しよう。
この絵画には、跡継ぎを亡くしたイシュトヴァーンが聖母マリアに「このハンガリーの王冠を誰に与えればよいのでしょうか」と尋ねている情景が描かれている。とガイドのモニカさんは説明してくれた。
祭壇の裏手に、聖イシュトヴァーンの右手首のミイラが聖遺物として保管されている小部屋があった。
聖イシュトヴァーン教会の建造物には、イシュトヴァーンの横に王冠を被った聖母マリアの像が置かれて
いた。