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中央ヨーロッパ旅行記⑧(ブダペスト リスト記念博物館)

 国会議事堂の見学は40分ほどで終わり、6時の集合まで時間がたっぷりあったので、私たち夫婦は歩いてリスト記念博物館に行くことにした。地図を頼りにして歩いたがその場所がよくわからない。そこで私は道を歩いている女性に声をかけたが、なんとその人は男性だった。彼は親切に一緒に歩いて探してくれたがよくわからなかった。もう一度同じ道を歩いてやっと探し当てることができた。下ばかり見ていてわからなかったのである。
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(リスト記念博物館の看板)
 私たちは写真の看板に気付いて、この建物がリスト記念博物館であるとわかった。この博物館は、ブダペストで最も有名で歴史的な建物が多くあるアンドラーシ通りに面した建物の2階にある。リストがブダペストに滞在していたときに住居としていた三室が博物館となっている。
 私たちは入館料と日本語用の音声ガイドとカメラ使用料をカードで支払ったが、全部で5100フォリント、日本円で約2600円であった。
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(リストの手書きの楽譜)
 館内にはリストの手書きの楽譜がたくさん展示されていた。
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(リスト記念館の内部)
 また、館内にはリストが使用していたソファーや椅子などが置かれ、リストの肖像画もたくさん並べられていた。
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(ピアノと銀製の楽譜台)
 サロンとして使われていた部屋には、リストを敬愛する人々から送られたピアノがある。ピアノの上には送り主8人の名前が刻まれた銀製の楽譜台がある。その楽譜台を飾る3人は、シューベルト、ベートーヴェン、ウェーバーで、リストが最も尊敬していた音楽家たちである。
 可愛らしいミニピアノは、幼いリストのために父親が特注したものである。
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(ミニピアノ)
 私はリストについては全く無知で、彼がハンガリー人であったことさえ全く知らなかった。彼は、1811年にハンガリーで生まれたが、1822年にはウィーンに移住してウィーン音楽学院で学び、さらに1923年にはパリへと向かった。リストはハンガリー人でありながらハンガリー語ができなかった。彼の生きた時代はオーストリア・ハンガリー二重帝国の時代で、ハンガリーはドイツ語を話すオーストリアの支配下にあった。そのため彼の家庭ではドイツ語が使われており、リストがハンガリー語を学ぶ機会はなかったのであろう。
 リスト記念博物館の見学後、私たちは地下鉄でホテルに帰ることにした。
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(地下鉄)
 ハンガリーの地下鉄が開通したのは1896年で、マジャール人の英雄アルパードが6人の部族長たちと共に、カルパチア盆地に入ってきた896年の建国千年祭の年である。ヨーロッパ大陸では最も古く、電気運転の地下鉄としてはイギリスより古く世界初である。地下鉄として唯一世界遺産に登録されている。
 私たちはこの古い地下鉄と新しい地下鉄を乗り継いでホテルに到着したのは5時頃であった。

 
by YAMATAKE1949 | 2014-02-16 12:33 | 旅行記