中央ヨーロッパ旅行記⑬(オーストリア シェーンブルン宮殿①)
私たちは午後5時頃にウィーンのホテルに到着して休憩したのちに、バスでレストランへと向かった。夕食はウィンナーシュニッツェル(ウィーン風カツレツ)であった。食後、バスでホテルまでの夜景鑑賞を楽しんだ。
市庁舎などライトアップされた夜景はきれいだったが、バスからの写真ははきれいに撮れなかった。
(観光3日目)
1月30日(木)の朝、私たちは8時30分頃にバスでウィーン観光へと向かった。最初に訪れたのがシェーンブルン宮殿であった。
この宮殿の歴史をたどると、この地はハプスブルク家の狩猟場になっていたが、17世紀初頭にマティアス皇帝が狩猟の最中に美しい泉(シュエーナー・ブルンネン)を発見し、それがシェーンブルン宮殿という名前の由来となった。
マティアスはすでにあった小さな砦を壊して館を建てた。1683年にオスマン帝国の襲撃を受けて館が破壊されると、レオポルト1世はハプスブルク家を象徴する新たな宮殿の建設を1696年に始めた。
建設工事は1700年に主要部分が完成し、新しい離宮となった。その後、宮殿の建設は続けられたが、シェーンブルン宮殿の歴史を大きく変えたのはマリア・テレジアである。この離宮を気に入った彼女は、夏の宮殿として使うことを決め、大規模な改築に乗り出した。今日見られる豪華な部屋は、ほとんどがマリア・テレジアの時代に完成している。それまで薄いピンク色であった外壁を、彼女は濃い黄色に塗り替えた。これ以降、ハプスブルク家の建物は、この「マリア・テレジア・イエロー」と呼ばれる濃い黄色がしばしば使われるようになった。
シェーンブルン宮殿には広大な庭園があり奥には丘がある。丘のふもとにはネプチューンの噴水があるが、この噴水は1776年に建造された。大きな泉水の中央には海の神ネプチューンと共に神話の神々が並ぶ。
丘の上に建てられたグロリエッテはコロネード(列柱回廊)として、泉より1年前に建造された。凱旋門を思わせる中央部の上には、ハプスブルク家の紋章である巨大な鷲が、地球の上に立って翼を広げている。