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中央ヨーロッパ旅行記31(チェコ プラハ②)

 聖ビート大聖堂には聖ヤン・ネポムツキーの墓がある。
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(聖ヤン・ネポムツキーの墓)
 墓の周りには天使が、そして墓を守る騎士の姿が見える。台の上では聖ヤン・ネポムツキーが十字架を抱いている。彼の像には必ず背後に5つの星がある。それは彼がヴルダヴァ川に投げ込まれた時、水面に5つの星が現れ、彼の身体を取り巻いたと言い伝えられているからである。彼が殉教したのは1393年だが、この墓は1736年、ウィーンの銀細工職人によって作られ、使われた銀は2トンに及んでいるという。
 ネポムツキーは、王妃の懺悔内容を明かさなかったために国王ヴァーツラフ4世に殺害されたと伝えられている。大聖堂には、「ネポムツキー殉教の絵」が置かれている。
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(ネポムツキー殉教の絵)
 この絵の左側にヴァーツラフ4世の王妃がヤン・ネポムツキー司祭に懺悔をしている場面。右側は王が、王妃の懺悔を教えないヤン・ネポムツキーを追求している場面。左より真ん中にヤン・ネポムツキー司祭がカレル橋から突き落とされる場面が描かれている。
 大聖堂には3つの紋章が描かれていた。
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(3つの紋章)
 上に描かれているライオンの紋章はボヘミアの紋章。真ん中の鷲の紋章はモラヴィアの紋章。下の黒い鷲の紋章はシレジアの紋章である。3つの紋章は、国を構成している3つの歴史的な地域を表している。
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(大聖堂の内部)
 大聖堂を出ると旧王宮があった。外観は王宮とは思えない質素なものであった。
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(旧王宮)
 この王宮は16世紀まで実際に使われていたものであるという。旧王宮のバルコニーで、今も大統領の演説が行われる。また大聖堂を見るときれいに装飾された門が見えた。
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(黄金の扉)
 この門は黄金の扉と呼ばれ昔はここが正門であった。大聖堂と王宮の前には聖イジー広場があり、中世プラハ城の中心広場であった。広場の奥には2本の白い尖塔をもったイジー教会が建っていた。
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(聖イジー教会)
 イジーとはドイツ語でゲオルク。ゲオルクとは古代ローマのディオクレティアヌス帝のキリスト教弾圧で303年に殉教し、騎手や戦士の守護神となった聖人である。聖イジー教会は10世紀前半にヴワディスラフ1世により建設されたプラハ城最古の建物である。付属の修道院も10世紀末に設立された。聖イジー教会の前にも聖ヤン・ネポムツキーの像が立っていた。
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(聖イジー教会の前の聖ヤン・ネポムツキーの像)


 
by YAMATAKE1949 | 2014-03-17 11:31 | 旅行記