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中央ヨーロッパ旅行記37(チェコ プラハ⑧)

 プラハの旧市街を歩いていると立派な建物が目に入った。後で調べてみるとその建物は聖ミクラーシュ教会だとわかった。
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(聖ミクラーシュ教会)
 この教会は12世紀に創建されたが、現在のバロック様式に改修されたのは18世紀初頭である。設計者はボヘミア・バロックを代表する建築家のキリアーン・イグナーツ・ディーンツェンホファーである。この教会は現在はフス派の教会となっている。
 旧市街を散策した後、私たちが向かったのはスメタナ博物館である。
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(博物館の横のスメタナ像)
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(スメタナ博物館)
 この博物館となっている建物はラジャンスキー宮殿と呼ばれ、スメタナはここに39歳から45歳まで住んでいた。スメタナはドボルジャークと並ぶチェコを代表する作曲家である。彼が生きていた時代のチェコはオーストリアの支配下にあった。そのため公用語はドイツ語であり、上流階級やプラハの市民たちもドイツ語を話し、チェコ語を話す者は田舎者扱いされた。愛国者であったスメタナは、チェコの歴史、伝説、風景を描写した作品『わが祖国』を発表したが、第2曲の「ヴァルタヴァ」(モルダウ)が特に著名となった。しかし民族主義者の彼さえもチェコ語を正確に話すことができず、一部の人達から批判を受け、後にチェコ語を学習したといわれている。彼はたくさんの子供を病気で亡くす悲劇に見舞われたが、さらに50歳で病気により完全に聴覚をうしなった。彼はその後も作曲活動を続けたが、精神を蝕む病によって、1884年には保護施設へと収監され、それから間もなく亡くなった。
 博物館の入館者は私たち夫婦だけであり、ゆっくりと館内を見ることができた。展示物にはスメタナの自筆の楽譜が置かれていた。
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(自筆の楽譜)
 館内にはスメタナの手紙もたくさん展示されていた。
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(自筆の手紙)
 この手紙には1840年とあるから、スメタナがチェコ第4の都市ブルゼニの学校に通っていた頃に親に出した手紙だと想像される。また、リストの写真と手紙が展示されていた。
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(リストに出した手紙か)
 この展示物には、「プラハ1843~1856」と書かれてあるから、彼が19歳から32歳までプラハに住んでいた時の手紙であることがわかる。彼はリストを尊敬しており、リストに手紙を送ったのであろう。彼は1856年10月にプラハを出てスウェーデンに移っている。それは1854年から1856年の間に次女、長女、四女の3人の子供を亡くし、妻も結核の診断を受けるなど家庭の不幸に見舞われたこと。また、1856年7月、彼の旧友であり革命運動を共にした友人が死去したこと。さらにオーストリアの圧力により、プラハの政治的な自由が奪われていくという風潮があったとともに、プラハでは彼の評価が低かったということがあげられる。
 館内にはその他に楽器なども展示されていた。
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(楽器の展示)
 館内にはスメタナの家族の写真も展示されていた。
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(家族の写真)
 写真の上段がスメタナと奥さん、中段が子供、下段が孫たちだと思われる。
 スメタナ博物館の次はドボルジャーク博物館へ行きたかったが、残念ながら休館となっていた。再び旧市街を散策したが、この日は天気がよくプラハ城がきれいに見えた。
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(旧市街から見たプラハ城)
 私たち夫婦はカレル橋を何回も往復し、いよいよプラハ最後の目的地である展望台へと向かった。
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(カレル橋)
 展望台はペトシーン公園の中にある。ヴァルタヴァ川に面した広い緑の丘の広い範囲が公園となっており、そこに展望台がある。高さが60mあるこの展望台は、パリのエッフェル塔を模して1891年に建てられた。
 私たちはトラムを利用してケーブルカー乗り場へと向かった。
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(展望台へ向かうケーブルカー)
 ケーブルカーを降りてしばらく歩くと展望台が見えてきた。
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(展望台)
 展望台から見たプラハの町は本当に美しかった。
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(展望台から見たプラハ城)
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(展望台から見たヴァルタヴァ川)
 ヴァルタヴァ(モルダウ)川はボヘミア盆地の水を集めてプラハを南から北へ流れエルベ川に合流する。エルベ川はドイツのドレスデン、ハンブルクを通って北海に流れる。一方、ドナウ川はドイツ南部の森林地帯(黒い森)に端を発し、東から南東方向に流れ、オーストリア、ハンガリー、ウクライナなど10カ国を通って黒海に流れる。私たちがこの旅行で見てきたブダペストやウィーンの川とプラハの川は同じように見えるが、全く違う方向に流れていくのである。自然とはなんと不思議なものだ。
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(展望台から見たカレル橋)
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(プラハ城)
 私たち夫婦は展望台からプラハの旧市街に戻った。食事をしようと思って財布を見るとチェコの通貨であるコロナがほとんど残っていなかった。今日が旅行の最終日なので、いまさらコロナに両替するのはばからしい。ガイドさんお勧めのレストランでは、ユーロやクレジットカードでいけるか聞いてみたがだめだった。しかたがないのでカード払いが可能な大型のスーパーマーケットを探し、食料品やお土産を買うことにした。運のいいことにそのスーパーマーケットからすぐに地下鉄の駅があったので、私たち夫婦は早めにホテルに帰ることにした。
第9日目(2月4日)
 私たちは翌朝7時30分にバスでプラハの空港へと向かった。午前10時頃の飛行機に乗り、フランクフルトで乗り換えて関西空港に着いたのは翌日の2月5日の午前8時45分頃であった。
 これで私の「中央ヨーロッパ旅行記」を終わります。長い間読んでいただいて「ジェクユ ヴァーム」(チェコ語でありがとう)。それでは「ナ スフレダノウ」(チェコ語でさようなら)


 
by YAMATAKE1949 | 2014-03-26 10:12 | 旅行記