第53回世界史講座のまとめ③(西ヨーロッパ・日本の経済復興)

3 西ヨーロッパ・日本の経済復興
1) ヨーロッパ共同体の成立
 西ヨーロッパ諸国は、戦後米ソ超大国の出現や植民地の喪失により国際的地位が低下した。しかし、アメリカの援助で経済が復興してくると、米ソに対抗する経済統合をめざした。ヨーロッパ石炭鉄鋼共同体(ECSC)に加盟するフランス、イタリア、西ドイツなど6か国は1958年にヨーロッパ経済共同体(EEC)を結成し共同市場の形成がめざされた。1967年にはEECを母体にヨーロッパ共同体(EC)が発足した。域内の関税引き下げや資本・労働力の自由な移動が実現し、1973年にはイギリスなども加盟し、米ソに匹敵する経済圏が生まれた。
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(東京法令「世界史のミュージアム」より)
2) フランス・ドイツの動き
 経済統合の中核となったフランスは、ド・ゴール大統領のもとで核兵器を開発し、北大西洋条約機構(NATO)軍事機構を脱退するなど、アメリカから離れて独自の道を歩んだ。
 西ドイツは、アデナウアー首相のもとで移民労働者を受け入れながら奇跡の経済成長をとげた。
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(東京法令「世界史のミュージアム」より)
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(東京法令「世界史のミュージアム」より)
3) 日本の経済復興
 日本は、1956年に国連に加盟して、国際社会へ復帰した。日本では、1960年、はげしい反対運動がおきるなか、アメリカとの日米安全保障条約が改定され、高度経済成長政策が本格的におしすすめられた。この結果、1960年代末には資本主義圏第2位の「経済大国」となった。
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(東京書籍「図説日本史」より)
4)韓国の動き
 1960年、韓国では李承晩政権が学生運動によって倒され、翌1961年に朴正煕将軍がクーデターにより政権につき、工業化をはかるようになった。日本は、戦後賠償を足がかりにして東南アジアに経済進出していった。韓国に対しても、両国内ではげしい反対運動がおきるなか、1965年、日韓基本条約を結び、韓国に対日賠償請求権を放棄させるかわりに借款を供与し、経済進出をすすめた。
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(帝国書院「タペストリー」より)
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by YAMATAKE1949 | 2014-04-18 09:00 | 世界史講座 | Comments(0)