フランス旅行記24 (セーヌ川クルーズ)
買い物が済んで私たちはバスでレストランへと向かった。夕食はエスカルゴであった。夕食後、セーヌ川クルーズのためにボート乗り場に行ったが大勢の観光客でいっぱいだった。私たちがボートに乗れたのは午後の9時半近かった。
5月末のフランスは日が長く、9時半になってもエッフェル塔には照明がついていなかった。セーヌ川クルーズを楽しむボートにたくさん出会った。
豪華なボートには、ディナーを食べながらクルージングを楽しんでいる観光客もいた。直ぐにアレクサンドル3世橋が見えてきた。
この橋はフランス共和国とロシア皇帝アレクサンドル3世の間に結ばれた友好の証として、ニコライ2世により1900年のパリ万国博覧会にあわせて建設され、パリ市に寄贈されたものである。次にブルボン宮が見えてきた。
この宮殿はルイ14世の庶子ルイーズ・フランソワーズ・ドゥ・ブルボンによって建てられたものである。現在、建物は国民議会の議事堂として使用されている。次にオルセー美術館が見えてきた。
この建物は、1900年にオルレアン鉄道の終着駅として建てられ、駅舎をそのまま美術館として利用したものである。この美術館にはおもに19世紀の作品を紹介し、印象派など人気のある作品が集まっている。私も以前、オルセー美術館の所蔵している印象派の作品を神戸まで友達と見に行ったことがある。現在、オルセー美術館ではゴッホ展が開かれているとのことである。やがてフランス学士院が見えてきた。
17世紀に王立アカデミーが設立されたが、フランス革命後いったん廃止された。その後1795年にフランス学士院として創設され、現在はアカデミー・フランセーズ及び4つのアカデミーで構成されている。やがてボートはシテ島の側を通るとノートルダム大聖堂が見えてきた。
パリのノートルダム大聖堂はゴシック建築を代表する建物である。現在もノートルダム大聖堂は、パリ大司教座聖堂として使用されている。ノートルダムとはフランス語で「我らが貴婦人」すなわち聖母マリアを指す。1991年、世界文化遺産に登録された。やがてボートは折り返し、エッフェル塔の近くへと戻ってきた。
ボートを降りてバスに乗り込もうとしたが、添乗員が10時になるとエッフェル塔の明かりが点滅するので見学してから帰りましょうといわれた。しばらく待っていると、エッフェル塔の明かりがきれいに点滅したが、写真にはうまく映らなかった。
その後、バスでホテルに向かったが、到着したのは予定時間よりだいぶ遅れ夜の11時近かった。