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第10回日本史講座のまとめ③(平安仏教の発展)

 Ⅱ 唐風文化
1 平安仏教の発展
1) 弘仁・貞観文化
 9世紀になると、唐はおとろえはじめていたが、日本ではむしろ唐風文化の影響が最盛期をむかえた。これを弘仁・貞観文化とよぶ。
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(東京法令「日本史のアーカイブ」より)
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(東京法令「日本史のアーカイブ」より)
2) 新仏教の誕生
 仏教では、唐で学んだ最澄(さいちょう)・空海(くうかい)が新しい仏教の教えを伝えた。最澄は唐の天台山で学び、山岳でのきびしい修行をとおして仏教本来の教えに立ち返ることを説く天台宗を伝えて、比叡山に延暦寺を開いた。空海は真言宗を伝え、京都の教王護国寺(東寺)を中心に活動し、高野山に金剛峯寺(こんごうぶじ)を開いた。空海は、加持祈祷(かじきとう)により、現世利益がえられるとする密教を唐から持ち込んだが、この世の栄華を求める貴族の間に広まった。天台宗も密教の要素をとり入れたため、真言系の密教を東密(とうみつ)、天台形の密教を台密(たいみつ)と呼ぶようになった。
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(東京法令「日本史のアーカイブ」より)
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(東京法令「日本史のアーカイブ」より)
 密教は山岳修行を重んじたため、伽藍(がらん)配置をもつ寺院にかわって、室生寺(むろうじ)や神護寺(じんごじ)などの山岳寺院が盛んに建立された。密教世界をあらわす両界曼荼羅(りょうかいまんだら)や、不動明王などのすぐれた作品が生まれ、密教美術が成立した。とくに彫刻では、1本の木材から彫りだす一木造(いちぼくづくり)の技法や、衣の量感を躍動的にあらわす翻波式(ほんぱしき)の表現が見られた。
 また、密教と山岳信仰とが結びついて修験道(しゅげんどう)がおこるとともに、土俗的な信仰との融合がすすみ神仏習合の考えが一層強まった。神は仏の権(かり)の姿だとする本地垂迹説(ほんじすいじゃくせつ)がとなえられた。また民間にも仏教が広がり、各地の仏教説話を集めた『日本霊異記(りょういき)』がつくられた。
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(東京法令「日本史のアーカイブ」より)
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(東京法令「日本史のアーカイブ」より)
by YAMATAKE1949 | 2014-12-25 10:55 | 日本史講座