第11回日本史講座のまとめ③(武士の登場)

3 武士の登場
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(東京法令「日本史のアーカイブ」より)
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(東京法令「日本史のアーカイブ」より)
1) 承平(しょうへい)・天慶(てんぎょう)の乱
 10世紀前半、東国と西国で朝廷の支配体制をゆるがす事件がほぼ同時に発生した。平将門の乱と藤原純友の乱で、この二つの反乱をあわせて承平・天慶の乱と呼んでいる。
 平将門は、9世紀後半から関東に土着した桓武天皇の子孫で、下総(しもうさ)(現、千葉県)に本拠地をもつ地方豪族であったが、935(承平5)年、一族間の所領争いを発端として反乱を起こした。939(天慶2)年に将門は、常陸(ひたち)(茨城県)・上野(こうづけ)(群馬県)・下野(しもつけ)(栃木県)などの国府を攻めて関東の大半を占領し、新皇(しんのう)と称して独立をはかった。しかし940年、平貞盛(さだもり)と下野の豪族藤原秀郷(ひでさと)によって鎮圧された。一方、伊予(いよ)国(愛媛県)国司であった藤原純友は、任期を終えても帰京せず、936年、瀬戸内海の海賊を組織して反乱を起こし、太宰府などを襲ったが、941年、源経基(つねもと)らに鎮圧された。
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(東京法令「日本史のアーカイブ」より)
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(東京法令「日本史のアーカイブ」より)
2) 武士団の組織化
 この反乱を起こした者も、鎮圧した者も、武士と呼ばれる地方豪族であった。このころ、武士はその武力を期待され、都では武士が侍(さむらい)に登用された。侍は「侍(さぶろ)ふ」の名詞形で、武力を任務として貴族に仕えたことから出た呼称である。宮廷や貴族の邸宅・有力寺院・神社の警備に利用され、地方でも国司が治安維持を行う追捕使(ついぶし)・押領使(おうりょうし)に武士を任命していた。10世紀中頃に、宮中警備のためにおかれた侍は、その詰め所が清涼殿(せいりょうでん)の滝口にあったので、滝口の武士と呼ばれた。武士は朝廷や貴族、国衙との結びつきを強め、一族の者を家子(いえのこ)、一族以外の者を郎党(ろうとう)とする武士団を組織しはじめた。
 次回の「第12回日本史講座」は、1月24日(土)午後2時より行います。
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by YAMATAKE1949 | 2015-01-15 10:37 | 日本史講座 | Comments(0)