第12回日本史講座まとめ③(国風文化の繁栄)
1 国風文化の繁栄
1) 国風文化
10世紀になると、唐の文化を日本の風土や感情に適合させた、貴族を中心とする洗練された文化が花開いた。これを9世紀の唐風文化にたいして国風文化と呼んでいる。
2) 仮名文字の成立
国風文化を代表するのは、漢字の草書体やその一部分をもとにして、宮中の女性や僧侶らが使いだした平仮名や片仮名の仮名文字である。片仮名は、僧侶が仏典を読む時、読み方を記す必要から利用したものであるとされている。また平仮名を使用することによって、漢字だけでは十分にいいあらわせなかった日本人固有の感情を豊かに表現できるようになった。「五十音図」や「いろは歌」もこのころ成立したと考えられている。「いろは歌」の作者は空海であるという説が有名であるが、時代的にはあわない。なぜ空海説が出てきたのかというと、「いろは歌」には仏教的な無常観が歌われており、これほどまでにみごとに作ることのできる天才は空海しかいないというとことらしい。
3) 和歌・詩文の発達
仮名文字がつくられると、優美で繊細な和歌が数多く詠まれるようになり、漢詩文とならぶ地位をえて、紀貫之(きのつらゆき)らが『万葉集』以後につくられた約1100首を最初の勅撰和歌集『古今和歌集』に編んだ。以降、室町時代までに21の勅撰和歌集が編まれた。和歌は、朝廷の宴会や社交の場でさかんに詠まれ、和歌の上手として六歌仙が選ばれ、藤原公任(きんとう)は当時流行していた和歌や詩文を『和漢朗詠集』に編んだ。仮名文字の普及は書風を唐風から和風へと変化させ、のちに三蹟(さんせき)と呼ばれる小野道風(おののとうふう)・藤原佐理(ふじわらのすけまさ)・藤原行成(ふじわらのゆきなり)らの名筆家が生まれた。
次回の第13回日本史講座は、2月14日(土)午後2時よりおこないます。