第21回日本史講座まとめ①(鎌倉時代の農村)
4) 武士社会の女性
鎌倉時代の前期から中期までは、女性への差別はあったが、その地位は比較的高く、嫁いだあとも改姓せず、夫は妻の所領をかってに処分できないなど、夫婦別財産が原則で、武士の未亡人で地頭職をもつ者も少なくなかった。しかし、鎌倉時代後期になると、惣領制の家父長権が強化されるとともに、婿入婚から嫁入り婚が多くなり、女性の相続権がなくなったり、一代限りとなるなど、女性の地位はしだいに低下していった。
3 鎌倉時代の農村
1) 荘官と地頭
鎌倉時代の農村には、下司(げし)や公文(くもん)などの荘園領主から任命された荘官と、幕府から任命された地頭がともにいることが多かった。彼らは侍として現地の支配をそれぞれ行ったが、荘官と地頭は支配権の拡張をめざしてしばしば対立した。
実際に村落の運営に当たったのは名主(みょうしゅ)であった。名主は名田の耕作と納税の責任を負うとともに、鎮守社(ちんじゅしゃ)の宮座で定期的に寄合(よりあい)を行い、農作業や祭礼などの重要事項を決定した。
2) 農民の抵抗
災害や荘官・地頭の非法などにさいして、領主に年貢の減免や非法の停止を求めて百姓申状(もうしじょう)を出し、訴えが聞き入れられないときには、要求が正当であることを神仏に誓った起請文を書いて山野に逃散(ちょうさん)することも行われた。
3) 小百姓と隷属農民
農村には、百姓身分に属しながら自分の名田を持たず、名主の名田や荘官の給田を請作(うけさく)して生計を立てる小百姓(こびゃくしょう)や、名主・荘官・地頭に隷属する下人・所従がいたが、彼らはいずれも村落の運営からは排除されていた。