第26回日本史講座まとめ②(惣村の形成と町衆の登場)

3 惣村の形成と町衆の登場
1) 惣村の形成
 農業生産が増大するにつれて、農業用水の利用をめぐる争いや、草木灰(そうもくかい)などを求める農民の共同利用地である入会地(いりあいち)の境界をめぐる争いがおこるようになった。
 室町時代後期には、小百姓(こびゃくしょう)や下人(げにん)が独立して寄合に加わり、村落運営に参加するようになった。農民は領主の不当な要求や隣村との争いや農業の共同作業などをとおして、村落全体の団結を強めながら、惣村(そうそん)とよばれる自治的村落をつくりあげた。惣村の指導者は地侍(じざむらい)とよばれる武士的な性格を持つ有力な名主たちであった。彼らの中から番頭・沙汰人(さたにん)・おとななどとよばれる村役人が選ばれ、惣村は彼らを中心として寄合によって運営された。村の寄合は宮座(みやざ)の建物で開かれることが多く、祭礼の執行はそのおもな仕事であった。そして共有財産の管理・入会地や用水の管理・秩序維持や村の防衛・道路の修理など、村の運営に関する多くのことがらが決められた。もし、村掟(むらおきて)にそむいた場合は寄合への出席を停止されたり、罰金を課されたり、場合によっては村から追放されたりした。
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(三省堂「日本史B」より)

 惣村の活動は、年貢の納入にまで及んだ。年貢は個々の農民が領主に納入する代わりに、百姓請(地下請)といって、惣村が責任を持って年貢を請け負う制度がおこなわれるようになった。さらに惣村では年貢の軽減などを領主に求め、要求が聞き入れられないときには、起請文を作成して「一味神水(いちみしんすい)」(神社の神水に起請文を焼いた灰をまぜて全員で飲み回し、団結して行動する決意をあらわすための儀式)し、逃散や強訴などの抵抗をしばしばおこなった。
2) 町衆の登場
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(東京法令日本史のアーカイブ」より)

 商工業の発展によって、京都や奈良でも都市住民の自治的な結合が強まった。なかでも、全国経済の中心地京都では町衆とよばれる有力住民があらわれた。彼らは商工業者が中心で、同じ地域に住むことでつながりを深めながら町組織をつくり、常設の店舗からなる町を単位とした自治組織をきずいた。後に戦国時代になって廃れていた祇園祭も町衆によって復興されたのである。
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by YAMATAKE1949 | 2015-09-30 09:32 | 日本史講座 | Comments(0)