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イタリア旅行記9 (アマルフィ②)

 アマルフィの町は古代ローマ時代に設置された交易所を起源としているが、その後ナポリ公国に支配された。9世紀には東ゲルマン系のランゴバルド人に占領されるが、翌年には彼らを追放し、知事を選出して自治共和国となった。10世紀には元首を選出して公国となり、商業の中心地として地中海貿易を支配し、海洋国家として発展した。しかし、12世紀に北部のピサ、ジェノヴァ、ヴェネチアなどの都市国家が台頭してくると勢力が衰え、ノルマン人の征服とともに、ピサの攻撃を受けて衰退した。現在は人口わずか5000人ほどの小さな町であるが、世界遺産に登録されているアマルフィ海岸の中心都市として、観光の拠点となっている。
 私たち夫婦はアマルフィの坂を上っていった。あと7分ほど歩くと紙の博物館がある。なぜアマルフィで製紙が盛んだったかというと、中国からイスラーム世界に伝わった製紙法がシチリア島経由でここにもたらされたからである。しかし、アマルフィの散策時間があまりないので、紙の博物館をあきらめて海岸へと降りてきた。
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(アマルフィの海岸から眺めた景色)
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(アマルフィの海岸から眺めた景色)
 海岸から古い塔がみえたが、あれはイスラームの侵略を防ぐための見張りの塔である。当時イスラームのことをサラセンと呼んでいた。
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(サラセン人の見張りの塔が見える)
 海岸では寒いのに海水浴をしている人達がいた。
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(海水浴をしている人達)
 海岸に面した市庁舎の建物の壁には共和国時代のアマルフィを描いたタイル画があった。
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(共和国時代のアマルフィを描いたタイル画)
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(市庁舎)
 海岸の広場には羅針盤の発明者だといられているフラビア・ジョイアの像が置かれていた。
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(フラビア・ジョイアの像)
 さらに海岸広場には旧市街への入口となっているポルタマリーナ(海の門)があり、そこにも海の覇者として活躍したアマルフィ共和国時代の地中海の地図を描いたタイル画があった。
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(地中海を描いたタイル画)
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(地中海を描いたタイル画)
 私たちは午後5時に集合しバスで再びナポリへと向かった。バスは午後7時頃にはナポリの町に入ったが、ナポリの町で救急車を見かけた。救急車にはヘビのマークがついていたが、添乗員さんの話によると、ポンペイの遺跡にも医者はヘビのマークがついていると。ナポリには多数の売春宿があり、その横にはヘビのマークのついた部屋があった。当時は文字を読めない人が多いので絵で何の商売かをあらわしたとのことである。
 私たちはレストランでの夕食後、ホテルに戻ったのは午後8時30分であった。明日はいよいよポンペイの見学であり楽しみだ。
by YAMATAKE1949 | 2015-11-01 11:31 | 旅行記