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第30回日本史講座まとめ② (織田信長の天下布武)

 Ⅲ 豊臣政権の全国統一
1 織田信長の天下統一
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(東京書籍「図説日本史」より)
1) 信長の統一過程
 戦国群雄のなかにあって、まず全国統一の先鞭をつけたのが、織田信長であった。信長はもと尾張の守護斯波(しば)氏の守護代であったが、1560年の桶狭間(おけはざま)の戦いで駿河の今川義元を破ってから急速に勢力を強め、美濃の斎藤氏をくだして岐阜に移り、1568年、前将軍義輝の弟義昭とともに京都に入り、義昭を15代将軍につかせ、その権威を利用して畿内を支配下に置いた。
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(東京書籍「図説日本史」より)
 これにより信長は、徳川家康と結んで1570年に近江の浅井・朝倉両氏を姉川の戦いに破り、これに応じた石山本願寺の一向宗徒と戦いをおこし、また翌年には比叡山を焼打ちにして中世以来の強大な寺院勢力を打倒し、1573年には信長にそむこうとした義昭を京都から追放した。
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(東京書籍「図説日本史」より)
 信長は宏壮な居城を近江の安土山にいとなんで四方の征服につとめ、1582年に本能寺の変で倒れるまで、東は武田氏を滅ぼして北条氏にせまり、北は上杉氏を圧し、西は中国の毛利輝元を攻めるなど、約28ヵ国を平定した。
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(東京書籍「図説日本史」より)
 信長の成功は、肥沃な濃尾平野を根拠地に持ち、京都にも近いという地理的な利点があったほか、彼の革新的で進取な性格によるところが大きい。鉄砲の威力を駆使して武田勝頼の騎馬隊を長篠(ながしの)合戦に破ったことは、その具体的なあらわれである。
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(東京法令「日本史のアーカイブ」より)
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(東京法令「日本史のアーカイブ」より)
2)信長の政策
 信長の政策は他の戦国大名と共通する点が多いが、京都や堺などの都市を支配下におき、安土には家臣団を常住させ、楽市・楽座を命じて自由な営業を認め、城下町の繁栄をはかった。各地の関所を廃止して、物資や兵力の輸送を容易にし商業の発展を促した。
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(東京法令「日本史のアーカイブ」より)
 畿内や征服地に指出検地を命じて、荘園などの土地を把握し、公家や寺院・神社を支配下に入れた。また、寺院勢力をおさえるために、キリスト教を保護し、京都に教会堂を、安土にセミナリオの建築を許可するなど、中世的な権威を否定する政策をとった。さらに信長は、1582年、武田勝頼を滅ぼし、畿内・中部・北陸と、中国地方の一部を支配下におさめた。しかし、信長は1582年、本能寺の変で家臣の明智光秀に倒された。
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(東京法令「日本史のアーカイブ」より)
by YAMATAKE1949 | 2015-12-17 10:23 | 日本史講座