ベネルクス3国旅行記7 (ブルージュ②)
この建物の右端に小さく隔離されているように建てられているのが、ライ病患者の建物である。ガイドブックによると、この建物を利用して、ブルージュで活躍した画家メムリンクの主要作品や病院の史料などを展示したメムリンク美術館がある。少し歩くと町で最も短いボニファシウス橋があった。橋の向こう側から大勢の観光客がこちらに向かって写真を撮ろうとしているので、私たちは急いで橋を渡った。
この橋はガイドブックにも載っているが、橋の反対側から写真を撮れば聖母教会がきれいに見える。
私はこの橋を急いで渡っていったので、この橋の反対側がこんなにきれいな風景だとは気が付かなかった。しかし、歩いていくうちに聖母教会の塔が見えてきた。
ガイドブックによると、聖母教会は「もとささやかな礼拝堂があったことから、9世紀に建てられたもので、始めは運河によって区切られていた町の外にあった。礼拝堂が重要性を増してきたのでローマ様式の教会に建て直された。そして、賢いブルージュの人々によって、運河の流れは変えられ、12世紀には町の城壁の真中に存在している。これは13世紀に作られたユニークなゴシック様式の建造物であり、ほとんど煉瓦だけで作られており、その後、何回か改築されている。大きな塔の高さは122mあり、煉瓦の塔としてはオランダ領で一番高いものである。」と書かれている。ブルージュはベルギーなのにオランダー領と書かれているのはどのような意味があるのか、ベルギーは一時オランダの支配下に入っていたので、ベネルクス地域で一番高い塔という意味なのか、それとも単に間違っているだけなのかわからない。
運河のそばにひっそりと銅像が立っていたので、古賀さんに尋ねると、この人はビーベスという思想家である。
後に電子辞書で調べてみると、「スペインのユダヤ系人文主義者、哲学者。エラスムスやトマス・モアの友人。アウグスティヌス≪神の国≫注釈、≪学問論≫(1531年)などで知られるほか、ペトルス・ラムスに受け継がれる論理学の革新者、女子教育の先駆的論者として有名。」と書かれている。なぜ彼の銅像がここにあるのかとネットで調べてみると、彼は人生の後半をここブルージュで送ったとのことである。私はエラスムスやトマス・モアはよく知っているが、ビーベスという人物については全く知らなかった。
マルクト広場の近くに来ると、数字が書かれた建物が目についた。
古賀さんの説明によると、この数字は建築された年代をあらわしている。マルクト広場の近くに魚市場があった。
私たちは聖血礼拝堂の建物を通ってマルクト広場へと入った。
聖血礼拝堂とはガイドブックによると、12世紀に十字軍に遠征したフランドルのティエリー伯爵がコンスタンティノープルから持ち帰った「聖血の遺物」を飾るために建てられた礼拝所である。建物の中にはイエスの像や礼拝所があった。