第37回日本史講座まとめ① (三都と城下町の繁栄)
Ⅱ 都市の繁栄と産業の発達
1 三都と城下町の繁栄
1) 都市
江戸時代には、各地に城下町・宿場町・鉱山町・門前町などの都市が生まれた。とくに城下町は、兵農分離によって移住させられた武士や、彼らの生活をささえるためによび集められた商人や職人らが住む、江戸時代を代表する都市であった。
城下町は、宿場町や寺内町、戦国大名の居城などをもとにしてつくられたところもあったが、多くはあらたに建設された都市だった。なかでも、江戸の建設には、大名が動員され、堀割や干拓などの大開発が行われた。城下町は、城郭を中心に武家地・寺社地・町人地(町方)など身分ごとに居住地が決められた。大半は城郭と武家地で、有事のさいの武士の集合所や宿泊所として使えるように寺院や神社が寺社地に集められた。
2) 三都
都市の中でも、江戸・大坂・京都は、それぞれ政治・経済・伝統工芸の中心地として繁栄し、三都と呼ばれた。三都の性格の違いは住民の気風にもあらわれ、儒者広瀬旭荘(ひろせよくそう)の言葉を借りると「京都の人は細かなり、・・・大坂の人は貪(どん)なり、江戸の人は夸(こ)(誇る、おごる)なり。・・・京都の人は土地を尊ぶ・・・住むは都に如(し)くはなしと。大坂の人は富を尊ぶ・・・世の中に富ほど尊きものはなしと。江戸の人は官爵を尊ぶ・・・貧は愧(はず)るには足らず、質を置いても立身をするがよしと」(九桂草堂随筆)ということになる。(笠原一男著 日本史研究 山川出版)
① 江戸
将軍の「お膝元」の江戸には、幕臣や、参勤交代で滞在する大名や藩士、商人・職人らが住んだ。1657年の明暦の大火後に市街地が拡大され、18世紀初めには人口100万人を数えるまでになった。
② 大坂
大坂は、全国経済の中心地として「天下の台所」と呼ばれ、幕府や藩の年貢米をはじま、各地の産物がおくりこまれた。
③ 京都
朝廷や公家、寺院や神社の本寺や本山が集まる京都は、西陣織・京焼などの高級工芸品や学術・宗教関係の書籍などの手工業の先進地であった。
また、全国二百数十の城下町のなかでも、金沢・名古屋・鹿児島・広島・福岡・岡山・仙台などは人口数万人の城下町として発展した。