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第38回日本史講座のまとめ③ (近世の女性と衣食住)

3 家意識と女性
1) 家意識
 家の観念が強まったのも近世の時代の特色である。幕府が身分秩序を維持するために、上下の関係をわきまえることを徹底させたため、いずれの身分に属する人も、常に家柄や分際(ぶんざい)をわきまえて行動することが求められた。家柄は家格ともいい、家柄が異なると交際や結婚も難しかった。また、門構えや衣服をなども家柄を示す重要な標識で、家柄の異なる衣服を着ると争いがおこった。
2) 家長の権限
 一族のなかでは本家が分家よりも各が高かった。また長子単独相続が広まり、家長が妻や子供らに対して絶大な権限を持った。家長は子供が家の恥を晒したようなときには勘当といって縁を切ることができた。家の財産と職業を継ぐ長男は他の子供とは異なる育てられ方をされるようになった。
3) 男尊女卑
 男尊女卑を当然とする考え方も、家柄を最優先する武士の場合に強くあらわれ、家の都合で妻を離別でき、跡継ぎをえるために本妻以外の女性を迎えることも行われた。また、武士の女子は、『女大学』などの教訓書をとおして、幼いときは父に、嫁(か)しては夫に、老いては子に従うことを教育された。
 町人や農民の間では、離縁をする妻に三行半(みくだりはん)を書いて再婚に口出ししない約束が行われた。一方、本人の意向を無視した結婚などで、離縁を求める女性を助ける駆込寺(かけこみでら)は別名縁切寺と呼ばれたが、相模鎌倉東慶寺(とうけいじ)、上野満徳寺(こうづけまんとくじ)などの寺がそれである。
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(東京書籍「図説日本史」より)
4 近世的な和風の衣食住
1) 衣
 衣服はどの身分も日常着として丈夫で着心地がよく染色しやすい木綿の小袖が普及し、夏の衣料には涼しさにまさる麻が好まれ、武家の正装は麻の裃(かみしも)とされた。
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(三省堂「日本史B」より)
2) 食
 食事は、米に雑穀などを混ぜた主食の御飯、一汁に野菜や魚の煮物など季節の産物を菜(おかず)にし、漬け物をそえた食事を1日3回とるのが一般的になった。
3) 住
 住まいは、17世紀ころ、掘立柱式にかわり、礎石の上に柱を建てる家屋が増え、何世代にもわたって住めるようになったため、家の永続を願う気持ちが強まった。
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(三省堂「日本史B」より)
4) 年中行事
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 寺院は、宗門改(しゅうもんあらた)めによって檀家にわりふられた人々と、葬式や法事をとおしてしだいに結びつきを深めた。寺院や神社で行われる五節句(ごせっく)や2月の初午(はつうま)・お盆・夏祭りなどの年中行事が村や町を共同で維持していくための大事な催しになった。商家などでも、正月やお盆に奉公人に休暇を与えて親元に帰らせる藪入りが行われるようになった。
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(東京法令「日本史のアーカイブ」より)
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(東京法令「日本史のアーカイブ」より)
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(東京書籍「図説日本史」より)
by YAMATAKE1949 | 2016-06-12 10:05 | 日本史講座