第45回日本史講座まとめ③ (学問・思想の広がり)

 Ⅳ 学問・思想の広がり
1 国学思想の浸透と蘭学の広がり
1) 国学
 国学では本居宣長の弟子平田篤胤(あつたね)が、儒教や仏教を排して、日本古代の神々が万物の創造主であることや排外主義的な尊王思想を主張して、復古神道をとなえ、豪農や神官らに支持された。
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(東京法令「日本史のアーカイブ」より)
2) 蘭学
 蘭学の広まりは西洋医学への関心を一段と高めた。オランダ商館のドイツ人医師シーボルトが開いた鳴滝塾では高野長英などの優れた医者や学者を輩出した。また、緒方洪庵(おがたこうあん)が大坂で開いた適塾には大村益次郎・福沢諭吉・橋本左内など明治維新に活躍する人材が数多く育った。
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(東京法令「日本史のアーカイブ」より)
3) 天文学
 幕府天文方の高橋至時(よしとき)らが寛政暦(かんせいれき)を完成させるなど、すぐれた天文学者や暦学者が出た。高橋至時の門人である伊能忠敬は海防の高まりに応じて日本全土の沿岸をみずからの足で実測して『大日本沿海輿地全図(だいにほんえんかいよちぜんず)』を完成させた。
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(東京法令「日本史のアーカイブ」より)
4)シーボルト事件
 しかし欧米文化の摂取が鎖国の秩序を乱す行為にまでおよぶと、幕府はきびしく処断した。1828年、シーボルトと幕府天文方で高橋至時の子景保(かげやす)が欧米の学術資料と日本地図などを交換したことが発覚すると、幕府は両人を厳重に処罰し監視を強化したが、これをシーボルト事件と呼ぶ。
2 経世思想の発達と尊王論の台頭
1) 経世論
 極度の財政難に直面した幕府や藩は、政治や経済の改革を具体的に提言する経世論(けいせいろん)が活発になった。本多利明(としあき)は国産開発とともに渡海・交易による利益吸収を説いた。
2) 農民指導や農学の発達
 農政についての学識と経験を生かして農村の復興にあたる者もあらわれた。二宮尊徳は豊富な体験と思想から生まれた独自の方法に基づいて関東で自力更生による農村の再生に尽力した。
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(東京法令「日本史のアーカイブ」より)
3) 尊王論の展開
 海防問題などに危機感を深める武士のなかから、それを変革するための政治思想も台頭した。なかでも水戸藩の藤田東湖(とうこ)は『大日本史』の編纂のなかから生まれた水戸学の思想から、尊王論と欧米列強を追い払えという攘夷論をとなえ、多くの武士に受け入れられていった。彼らの尊王論は幕府の存在を否定するものではなかったが、幕藩体制の危機が本格化すると、国学の尊王論とともに、幕府批判のよりどころとなっていった。
3 民衆宗教の誕生
1) 社会不安
 天明の飢饉以降、局地的に天候不順にみまわれ、各地で災害が起こった。また天然痘やインフルエンザが全国的にたびたび流行し、コレラも上陸して猛威をふるったので、社会不安がしだいに深刻になっていった。しかも当時の医療では治療できなかったので、厄よけや病気回復をかなえてくれる現世利益(げんせりやく)の神仏と流行神がもてはやされた。そのため、1830年、伊勢神宮へ集団参拝する「お蔭参り」(おかげまいり)は通例の60年周期をまたずにはじまり、各地から大勢の人々が生活不安からの解放を求めて伊勢神宮へと向かった。また、冨士講など霊山信仰と旅ブームが結びつき、善光寺参りや金比羅(こんぴら)参りも流行した。
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(東京法令「日本史のアーカイブ」より)
2) 民衆救済の新宗教
 こうしたなかで、中山みき・黒住宗忠(くろずみむねただ)・川手文治郎(かわてぶんじろう)は、みずからの大病や貧困などの不幸とのたたかいをとおして神意を伝える「生神(いきがみ)」となり、不幸な人々の救済を説き、それぞれ天理教・黒住教・金光教という新しい宗教を起こした。彼らの教えは、現実的で分かりやすいものだったので、幕府のきびしい宗教統制にもかかわらず、多くの人々の心をとらえ広まった。

 日本史講座も第45回で前近代を終え、いよいよ次回から近代が始まります。次回の第46回日本史講座は、9月10日(土)午後2時より行う予定です。
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by YAMATAKE1949 | 2016-08-31 10:03 | 日本史講座 | Comments(0)