第46回日本史講座まとめ① (激動するアジア)

 第46回日本史講座は9月10日(土)午後2時より受講者7名で行われましたが、いよいよ近代史の学習が始まりました。
 第15章 明治維新と近代国家
 Ⅰ 激動するアジアと日本の開国
1 激動するアジア
1)なぜ日本は近代化に成功したのか
 アジアの国々はインド・中国・朝鮮・東南アジアなど、ほとんどの国が植民地化していったのに、なぜ日本は独立を維持し、近代化に成功したのか。その要因の一つは幕末の日本の経済的な発展とともに、教育・文化などがかなり進んでおり、近代化を受け入れる条件が整っていたことが考えられる。畿内の綿織物業ではマニュファクチュア(工場制手工業)が行われ、教育では寺子屋が全国に普及し、庶民の多くが読み書きそろばんができた。このような国内的な要因だけでなく、国際的な背景が考えられる。羽仁五郎が「太平天国が明治維新を成立させた」と指摘しているように、中国の民衆の闘いがイギリスの植民地支配の政策を変えさせた。イギリスは太平天国の乱やインド大反乱の反省を踏まえて、武力による支配はかえって犠牲が大きいので、現地の支配者を利用する政策に転換した。イギリスが薩長と手を結んだのにはこのような理由がある。
2)19世紀の欧米の状況
(三省堂「日本史B」より)
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 19世紀にはいると、ヨーロッパやアメリカでは産業革命が進み資本主義社会に移った。欧米の列強は、工業生産のための原料の入手先や製品の販売先として、植民地や海外市場を求めて世界各地に進出していった。
3)中国の状況
 イギリスは、1840年、国内へのアヘン持ち込みを拒む清朝にアヘン戦争を仕掛けて破り、1842年の南京条約などで、香港の割譲や上海など五港の開港、賠償金の支払いなどを約束させた。これをきっかけに、アメリカやフランスなども中国市場へ進出し、ロシアもその機会をうかがった。中国の民衆は、賠償金を民衆への負担の増加によってまかなおうとする清朝政府の打倒をめざして太平天国の乱を起こした。
4)インドの状況
 イギリスのインド支配は1757年にフランス・ベンガル太守連合軍を破ったプラッシーの戦いから始まった。その100年後の1875年、イギリス軍のインド人傭兵(セポイ)が、差別の解消と待遇改善を要求して反乱を起こすと、大規模な反英闘争に発展したが、これをインド大反乱と呼ぶ。
5)アジアへの来航
 こうして、アジアでは列強の進出をきっかけに激動の時代に突入したが、フランスやイギリス、ロシアの船舶が琉球や蝦夷地にたびたび来航するなど、列強の日本進出は時間の問題となった。
 

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by YAMATAKE1949 | 2016-09-12 10:12 | 日本史講座 | Comments(0)