第52回日本史講座のまとめ④ (憲法制定への準備)

 Ⅴ 大日本帝国憲法
1 憲法制定への準備
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(東京法令「日本史のアーカイブ」より)
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(東京法令「日本史のアーカイブ」より)
1) 伊藤博文の憲法準備
 政府は一方で自由民権運動を取り締まるとともに、他方で自らの主導権のもとに立憲体制の樹立をはかった。1882年、伊藤博文らは天皇や政府の権限の強い憲法を制定するために、ウィーン大学のシュタインやベルリン大学のグナイストらから君主権の強力なドイツ憲法を学び、翌年に帰国するや、宮中に制度取調局を設置して自ら長官となって、立憲政治の前提となる政治機構の改革に取りかかった。
 また1886年、伊藤はドイツ人法律顧問ロエスレルの助言をえながら、井上毅(こわし)・伊東巳代治(みよじ)・金子堅太郎らと憲法制定作業を開始した。1888年に憲法と皇室典範の草案審議のために枢密院が設けられ、天皇臨席のもと憲法草案の審議が開始された。
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(東京書籍「図説日本史」より)
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(東京法令「日本史のアーカイブ」より)
2) 華族制度
 1884年、華族令が公布され、華族は公・侯・伯・子・男の5爵に分けられ、これまでの旧大名・公家らに加えて、明治維新以後国家に功労のあった人々を新しく華族に入れた。これは、国会が開かれた場合の民撰議院に対抗する貴族院の選出母体とするためのものであった。
3) 内閣制度
 1885年、太政官制を廃止して内閣制度が創設された。各省の行政長官を国務大臣として、新しく内閣総理大臣を置き、その統轄のもとに各国務大臣をもって内閣を構成し、政治運営の中心とした。これは国会開設に備えて行政府の強化をはかるのが目的で、これによって薩長出身の藩閥政治家が権力を握った。また、宮中と内閣とを区別して、天皇に政治責任が及ばないようにした。
 内閣制度の制定とともに、伊藤博文が初代の内閣総理大臣となった。その10名の閣僚中4名が旧薩摩藩、4名が旧長州藩出身者であった。これ以後、大正初めまで、公家出身の西園寺公望、肥前出身の大隈重信を除けば、総理大臣はすべて薩長出身者で占められた。
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(山川出版「詳説日本史研究」より)
4) 皇室財産の制定
 政府は皇室が議会の制約を受けないようにするため、1885年から1890年までに、約365ヘクタールに及ぶ山林・原野や莫大な有価証券を皇室財産とした。

次回の第53回日本史講座は、2017年1月28日(土)午後2時より行う予定です。
 
 
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by YAMATAKE1949 | 2016-12-21 10:51 | 日本史講座 | Comments(3)
Commented by T.kajinami at 2017-01-02 12:38 x
昨年は、楽しく有意義な時間をありがとうございました。
今年もよろしくお願い致します。
Commented by YAMATAKE1949 at 2017-01-05 09:37
コメントありがとうございます。
私も日本史講座で勉強さしてもらっていますが、皆さんが積極的に講座に参加してくれることによってやりがいを感じます。今年も日本史講座も歌声もよろしくお願いします。
次回の日本史講座は1月28日(土)午後2時からです。
 
Commented by 福浦日登美 at 2017-01-13 22:59 x
初めまして。

昨日、山武様のブログ記事の「第27回世界史講座のまとめ②(産業革命とイギリス社会)」にコメントをさせていただきました。

お時間ご都合があればご確認いただき下記アドレスにご返答いただければと思います。
fukuura@f10.co.jp

何卒宜しくお願い致します。