南米(マチュピチュ・イグアス)旅行記③(リマ②)
1月13日はペルーの祝日ではないので、なぜ国旗が掲げられているのかは分からなかった。
ペルーの国旗は南米独立の英雄サンマルティン将軍が見た、翼が赤く胸が白い鳥に由来する。白は平和と名誉を、赤は勇気と愛国心を象徴する。中央の紋章は左がラマ、右がキナというそれぞれペルー特産の動植物、下は財宝で豊かな鉱物資源を表わす。
アルマス広場へ向かう途中でインディオの親子を見かけた。
現在のペルーには原住民(インディオ)の言語であるケチュア語を話す人は13.2%、アイマラ語は1.8%で、83.9%の人達はスペイン語を話している。
やがてアルマス広場に到着したが、広場の中央には噴水があった。
アンデス山脈の高地にあったインカ帝国を征服したピサロは、高地を嫌い海岸の近くにある低地のリマを1535年に首都に定めた。彼はアルマス広場を中心に町の建設を進めていったが、現在も広場を囲むように古い建物が残っている。
大統領官邸はもともと征服者ピサロが住居としていた場所である。地震や火災によって何度も破壊されてしまったが、何度も再建されたものである。建物はネオ・コロニアル建築で、現在の正面ファサードは、1938年にフランスの影響を受けたネオ·バロック様式のデザインを取り入れて、建物に美しさと優雅さを与えている。
広場の横にはカテドラルがあった。
カテドラル(大聖堂)は、2本の塔が建つバロック様式の教会である。植民地時代の精巧な外観を見ることができるが、1535年に征服者ピサロによって最初の礎石が置かれ建設が開始された。たび重なる地震によってダメージを受けてきたが、現在見ることが出来る多くの部分は、1746年再建されたものである。