第58回日本史講座のまとめ④(大正政変と大隈内閣の成立)

2 大正政変と大隈内閣の成立
1)第2次西園寺内閣の倒壊
 陸軍は日韓併合後の朝鮮に駐留するためや辛亥革命の進展に備えて2個師団増設を早急に実現することを求めていた。しかし第2次西園寺内閣が財政難を理由に拒否すると、上原勇作陸軍大臣はこれに抗議し、1912(大正元)年12月、明治天皇の跡をついで即位した大正天皇に単独で辞表を提出した。陸軍も軍部大臣現役武官制を利用して後任の陸軍大臣の推薦を拒絶したため、西園寺内閣は倒れ、第3次桂内閣が成立した。
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(東京法令「日本史のアーカイブ」より)
2)憲政擁護運動
 これに対して、立憲政友会の尾崎行雄や立憲国民党の犬飼毅(いぬがいつよし)らの政治家や新聞記者、実業家グループなどが中心となり、「閥族打破・憲政擁護」のスローガンをかかげ、桂内閣打倒を目指して、いわゆる憲政擁護運動を展開した。桂は1913年、みずから立憲同志会の結成にのりだし、衆議院を停会して反対派の切り崩しを図ったが、衆議院の多数を制するにはいたらなかった。1913年、数万人の民衆が議事堂を包囲するなか、50日あまりで桂内閣は退陣に追い込まれたが、これを大正政変と呼ぶ。このように民衆のデモンストレーションが直接、内閣を交代させたことは日本の政治史上はじめてのことであった。
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(東京法令「日本史のアーカイブ」より)
3)第1次山本内閣の成立
 桂内閣にかわって、海軍大将の第1次山本権兵衛(ごんべい)内閣が成立した。山本内閣は立憲政友会の協力をえたが、政治不信の強い世論に譲歩して、軍部大臣現役武官制を改正し退役した大将や中将にまで任用範囲を広げ、高級官僚の任用について若干の譲歩を行った。しかし山本内閣は、軍艦購入をめぐる海軍高官の汚職事件であるシーメンス事件の責任を追及され、国民の強い非難をあびるなか、1914年に倒された。
4)大隈内閣成立
 元老たちは軍備拡張の実施と衆議院の多数党の政友会の打破に期待をかけて、大隈重信を次の首相に推薦した。大隈は庶民的な性格や自由民権運動以来の政治的経歴によって国民の人気を集め、立憲同志会を与党として組閣した。そして、1915年の総選挙で同志会など与党が衆議院の過半数を制すると、2個師団の増設と海軍拡張案を実現させた。

次回の第59回日本史講座は、5月13日(土)午前12時に山本武志の玄関に集合し、自動車に分乗して槇塚台の山本さんのお宅へと向かいます。早く人数を確認したいので、出席される方は早急に山本武志まで連絡ください。

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by YAMATAKE1949 | 2017-04-29 09:40 | 日本史講座 | Comments(3)
Commented by T.kajinami at 2017-05-06 18:59 x
5月13日(土)もよろしくお願いします。
Commented by YAMATAKE1949 at 2017-05-09 15:43
5月13日(土)の日本史講座は、12時に私の家の玄関前に集合し、自動車に分乗して山本さん宅に向かう予定です。よろしくお願いいたします。
Commented by T・kajinami at 2017-05-12 13:37 x
13日(土)12時半に行きますので、よろしくお願いします。