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第60回日本史講座のまとめ③(戦後恐慌から震災恐慌)

2 戦後恐慌から震災恐慌
1)戦後恐慌
 第一次世界大戦による好景気も大戦が終わるとたちまち泡のように消えた。もともと日本の資本主義は戦争をつうじて発展したもので、軍事産業の占める割合が大きく、そのうえ、国民の購買力が低いために国内市場が狭く、常に海外市場に依存するという不安定な構造を持っていた。そこで大戦が終わって列強の生産力が回復してくると、輸出が急減して、1919年からは貿易収支は輸入超過に転じた。1920年には株が暴落し、また、綿糸・生糸の生産過剰によってその相場が大幅に下落し、紡績・製糸業は操業を短縮するなどの深刻な不況におそわれたが、これを戦後恐慌とよんでいる。
 政府は日本銀行や特殊銀行を通して企業救済のための融資を行ったが、業績の良くない中小の企業や銀行にも融資を行ったため、企業の合理化や整理が十分には進まなかった。
2)震災恐慌
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(東京法令「日本史のアーカイブ」より)
 1923(大正12)年9月1日には関東大震災にみまわれて京浜地区はほとんど焼け野原となり、東京・横浜を中心に65億円もの被害が出たため、震災恐慌がおこった。
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(東京法令「日本史のアーカイブ」より)
政府は、16億円を復興対策費に当てたが、復興のための輸入も急増したため、1923年と翌1924年の国際収支は12億円の赤字となり、外貨も大幅に減少した。そこで政府は、再び日銀や特殊銀行を通して巨額の企業救済融資を行い、30日間の支払い猶予令(モラトリアム)と、不渡りの恐れのある手形を日銀に再割引きさせ、損失は政府が税金を使って補償するようにした。しかし、不良手形をかかえた銀行の経営は悪化していった。こうして、日本経済は、1920年以降、一時期を除いて、長期の不況に苦しむことになった。
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(東京法令「日本史のアーカイブ」より)

by YAMATAKE1949 | 2017-05-31 09:13 | 日本史講座