2015年 11月 30日 ( 1 )

(観光10日目)
 10月20日(火)午前9時、私たちはホテルからバスでミラノ観光へと出発した。ミラノはローマ帝国時代の313年にコンスタンティヌス帝によってキリスト教を公認したミラノ勅令や、ファッションのミラノコレクションなどでも有名な都市である。私の娘も語学留学として2か月だけだが滞在したことがある。
 この都市の歴史は古く、紀元前600年のケルト人の町を元にしている。4世紀のテオドシウス帝の頃には西ローマ帝国の首都でもあった。現在はイタリア第2の都市として商業、工業、金融、観光としても繁栄し、大阪市の姉妹都市でもある。
 今年の5月から10月に渡って開催されたミラノ万博の会場が見えた。
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(ミラノ万博の会場)
 ミラノ万博は「食」をテーマとしており、日本食ブームを背景に日本館の人気がすごいと現地ガイドさんが説明してくれた。
 まず最初に私たちが訪れたのはスフォルツェスコ城である。
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(スフォルツェスコ城)
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(スフォルツェスコ城)
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(スフォルツェスコ城)
 この城は、1450年にミラノ公爵のフランチェスコ・スフォルツァがヴィスコンティ家の居城を改築して建設したものである。その後、16世紀から17世紀にかけて改装・増築され、ヨーロッパでも有数の規模の城塞となった。1796年この地を征服したナポレオンによって一部の施設が破壊されたが、1891年から1905年にかけて、建築家ルカ・ベルトラミらによって修復された。もともとは星型の形状の広大な城郭であったが、現存しているのは元々の面積の4分の1程度以下であり、残りの敷地は公園や道路となっている。
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(スフォルツェスコ城)
 城を見学した後、私たちはバスでドゥオモ(大聖堂)へと向かったが、途中珍しい建物を発見した。
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(珍しい建築物)
 この珍しい建物はマンションであろうか、さすがはファッションの都市ミラノである。バスはまもなくドゥオモ広場に着いた。私たちはドゥオモ広場のそばにあるビットリオ・エマヌエーレ・2世ガッレリアと呼ばれるアーケードにやって来た。
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(ビットリオ・エマヌエーレ・2世ガッレリア)
 ガイドさんの話ではガッレリアとはもともとはトンネルという意味らしい。このアーケードは初代イタリア国王に因んで名付けられたもので、最初に1861年にデザインされ、イタリアの建築家ジュゼッペ・メンゴーニによって1865年から1877年の間に建設された。
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(ビットリオ・エマヌエーレ・2世ガッレリア)
 中央の十字路部分はガラス製のドームで覆われている。この八角形のガラスドーム広場の床面には、中央にイタリア王国の紋章、その周囲に各都市の紋章が描かれている。
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(ミラノの紋章)
 私たちはアーケードを通ってドゥオモ(大聖堂)へと歩いた。ドゥオモの前には大勢の観光客がいた。
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(ドゥオモ)
 このドゥオモはにミラノの君主ジャン・ガレアッツォ・ヴィスコンティの命により、1386年に着工されたものである。しかし正面が完成したのは19世紀初め、イタリアを征服したナポレオンによってであった。全長158m、翼廊の幅93m、全高108.5mの世界最大のゴシック建築で、聖堂としてはローマのサン・ピエトロ寺院に次いで2番目の1万1700㎡の広さを誇る。
 内部は広くて天井も高く、たくさんのステンドグラスが美しい。
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(ドゥオモの内部)
 ドゥオモの内部を見学した後、自由時間があったので私たち夫婦はドゥオモの屋上に上ることにした。切符を買って屋上に上るとミラノの町がきれいに見えた。
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(屋上に上る途中の景色)
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(屋上から見た景色)
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(屋上から見た景色)
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(屋上から見た景色)
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(屋上に上って)
 ミラノが私たちのイタリア観光の最後であった。レストランでの昼食後、私たちはミラノ空港に行き、イスタンブールを経由して関空に着いたのは10月21日午後7時頃であった。

 長い間「イタリア旅行記」を読んでいただいてグラツィエ(ありがとう)、それでは皆さんアリヴェデールチ(さようなら)


 

 

 
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