2015年 12月 13日 ( 1 )

 第29回日本史講座は11月28日(土)午後2時より行われました。
4 戦国大名
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(東京法令「日本史のアーカイブ」より)
1) 戦国大名の登場
 新しい時代を担ったのは各地の有力な戦国大名であった。うちつづく戦乱のなかで、国人はみずからの地位を守りながら所領を拡大するために、また、地侍は武士となって所領を獲得するために、より強力な権威を求めるようになった。彼らと主従関係を結んで要求に応え、領国(分国)を支配したのが戦国大名である。
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(東京法令「日本史のアーカイブ」より)
2) 群雄割拠
 関東では、駿河に下った北条早雲が、不安定な政情をみてとり、15世紀末に堀越公方(ほりごえくぼう)を倒し、伊豆や相模(さがみ)につぎつぎに制圧して、第4代の北条氏政のころには関東の大半を支配下に治めた。国人から出た安芸(あき)の毛利元就は、周防(すおう)の守護大名大内氏が16世紀半ばに重臣の陶晴賢(すえはるかた)に滅ぼされると、その混乱に乗じてその領国を奪い取り、守護代から出た出雲の尼子氏を滅ぼして、中国地方の大半を支配下に治めた。守護大名から出た駿河の今川義元や甲斐の武田信玄、薩摩の島津貴久、守護代から出た越後の上杉謙信らは、家臣の支持を取り付けながら、親・兄弟・一族との争いにうち勝ち、国内の統一をすすめた。四国では長宗我部(ちょうそかべ)氏が、東北では伊達(だて)氏が国人から身をおこして、広大な領国を形成した。
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((東京法令「日本史のアーカイブ」より)
5 家臣団の編成と貫高制
1) 家臣団の編成
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(東京書籍「図説日本史」より)
 戦国大名は、国人や地侍を大量に家臣にとりたてて、寄親(よりおや)と呼ばれる有力家臣のもとに地侍を寄子(よりこ)としてあずける寄親寄子制をとって統制をはかった。そして、彼らを中心とした鉄砲隊や長槍隊(ながやりたい)などに編成して、歩兵中心の集団戦法をとれるようにした。
2) 指出検地
 地侍らを家臣とした大名は、彼らが力を持つ村や鄕を単位に検知をすすめて年貢を増やしたり、年貢や新田の面積などを正しく申告させる指出検地を行った。これによって、大名は、荘園や公領のわくにとらわれないで、土地と農民を直接支配し、増やした年貢や所領を家臣に与えて国人や地侍の要求に応えた。
3) 貫高制
 大名は、家臣の所領や軍役の負担の大きさ、農民の年貢額、耕地の面積などを、そのころの貨幣の単位である貫や文に換算した貫高であらわした。これによって、貫高にもとづいて大名と家臣との主従関係が結ばれるという新しい知行制がつくられることになったが、これを貫高制と呼ぶ。
 
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