2015年 12月 15日 ( 1 )

6 領国支配と分国法
1) 領国支配
 戦国大名は、荘園領主や在地領主の特権を奪い、家臣たちにあらためて知行地として下付する政策をとった。こうして戦国大名の領国は、完全に独立した封建小国家になった。
 大名は、居城の他に各地に支城(しじょう)をかまえて領国の維持につとめ、領国内に平和と繁栄をもたらそうとした。大名は、領国民を多数動員して築城や大河川の治水などを行ったほか、居城の周囲に重臣や武器・武具などをあつかう商工業者を集住させ、城下町づくりを行った。また通交と物資の輸送を円滑にするために、関所を撤廃し、宿駅や伝馬(てんま)などの制度をととのえた。さらに大名は、各地の六斎市を保護し、座の特権を廃止する楽市令を出して、自由な商取引を保障した。大名はまた、中国向けの重要な輸出品となっていた金・銀の獲得のために、石見(いわみ)・生野銀山や佐渡の金山が開発された。16世紀前半に朝鮮から純度の高い銀を精錬できる灰吹法(はいふきほう)や、その後、坑道堀りの技術などがもたらされると、産出量は飛躍的に増え、日本は世界有数の金・銀の産出国となった。こうして、城下町と京都や堺・博多などの貿易港を結ぶ遠隔地取り引きが活発となり、港町、宿場町が一層発展した。
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(三省堂「日本史B」より)
2) 分国法
 大名は、その正統性を裏付けるために国人一揆の取り決めや、さまざまな慣習法をもとに独自の分国法を定める者があらわれた。室町・戦国時代には、国人や惣村どうしの紛争は合戦などの実力で決着をつけることが多かった。しかし大名は喧嘩両成敗法を定めて、家臣どうしの争いを禁止したり、惣村の農民に対して一揆や逃散を禁止し、違反者はきびしく処罰し、紛争は訴訟によって解決するようにした。大名は裁判権を確立し、領国支配を強めた。
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(三省堂「日本史B」より)
7 戦国時代の文化
1) 特色
 戦国大名は、応仁の乱をきっかけに京都を逃れた公家や僧侶を積極的に迎え入れたので、中央の文化が地方に伝えられ、城下町は政治や経済だけでなく、文化の中心地となった。
2) 学問の地方への広がり
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(三省堂「日本史B」より)
 大内氏の山口や今川氏の府中(静岡)などでは、儒学や古典の講義、茶会・連歌・和歌の寄合が催され、仏典などの書籍の出版も行われた。
 肥後の菊池氏や薩摩の島津氏らのように、臨済宗の僧侶で朱子学者の桂庵玄樹(けいあんげんじゅ)を招いて講義をうけるなど、朱子学を支配に役立てようとする大名もあらわれた。また、関東では関東管領上杉憲実(のりざね)が再興した下野の足利学校を北条氏が保護したので、学問を志す僧侶や武士が全国から集まった。
3) 民衆文化の発展
 商工業者は商売のために、農民は惣村の運営などのために、読み・書き・そろばんの能力を身につけようとする気運が高まった。惣村の発展とともに、村の年中行事も豊かになり、祭礼や盂蘭盆会(うらぼんえ)などで芸能者を招いたり、村人自身が衣装を凝らして能を舞ったり、風流踊りに興(きょう)じた。
 一方、朝鮮や明から輸入された木綿は、麻よりも保温や耐久性にすぐれていたため、兵士の衣料などにつかわれて需要が急速に高まったので、三河や河内など各地で栽培もはじまった。木綿は鉄砲の火縄や船の帆などにも用いられ、江戸時代には庶民の衣料の中心となった。
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