2015年 12月 30日 ( 1 )

 「ウィーン体制をどう教えるか」は、2015年11月24日に大阪歴史教育者協議会世界史部会で私が報告したものです。
【授業のねらい】
① ウィーン会議は何の目的で開かれ、その指導理念となった正統主義とは何か。
② ウィーン体制とはどのような体制であったのか、そして、その支柱となった神聖同盟や四国同盟とは何か。
③ ウィーン体制のもとで、ドイツではブルシェンシャフト、イタリアではカルボナリ、ロシアではデカブリストの乱が起こったが、それはそれぞれどのような運動であったか。
④ ウィーン体制のもとで、なぜラテンアメリカ諸国の独立が達成されていったのか。
⑤ ウィーン体制のもとで、なぜギリシアが独立を達成できたのか。
【授業展開】
 Ⅰ ウィーン体制の成立
1 ウィーン会議
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(資料①)(ウィーン会議の風刺画)
問① 左の6人の人物は誰か、次の中から選びなさい。〔ザクセン王・カースルレー(英)・
アレクサンドル1世(露)・オーストリア皇帝・プロイセン王・タレーラン(仏)〕
問② 彼らは何をしているのか。
問③ この会議の目的は何か。
問④ この会議を指導したのは誰か。
問⑤ この会議はなぜ進展しなかったのか。
問⑥ この会議の指導理念となった正統主義とは何か、また、それを主張したのは誰か。
(解説)
 問①は、左からタレーラン・カースルレー・オーストリア皇帝(フランツ1世)・アレクサンドル1世(露)・プロイセン王(ヴィルヘルム3世)・ザクセン王(アウグスト1世)である。問②は、各国の皇族・王族・貴族が社交として宴会や舞踏会に集い「会議は踊る」光景である。しかし、その背景にはフランス革命やナポレオン戦争で追いやられた封建的・絶対主義的勢力が復活した喜びをあらわしているのではないか。問③は、フランス革命・ナポレオン戦争後のヨーロッパの国際秩序を再建するための国際会議である。問④は、オーストリアの外相メッテルニヒである。問⑤は、領土をめぐる大国間の利害が対立したからである。問⑥はタレーランで、その内容は、フランス革命前の王位・王国を正統とし、革命前の国際秩序に復帰させようとする主張である。フランスは敗戦国でありながら、出席を許され、タレーランは、列強の対立を利用した巧みな外交手腕を持ってフランスの利益を守った。
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