2016年 12月 11日 ( 1 )

3 国境の画定
1) 琉球問題
 日本政府は、17世紀初頭以来、薩摩藩と清の両方に服属していた琉球を日本の領土とする方針を定め、1872年に一方的に琉球藩をおいて琉球王尚泰(しょうたい)を藩王に任命した。清はこれを認めず、琉球も各国に救済を求めたが、政府は3年前の1871年に台湾で起こった宮古島民殺害事件を持ち出し、1874年、台湾出兵を行い、清から賠償金を獲得した。ついで1879年には軍隊や警察を派遣して武力を背景に廃藩置県を強行し、沖縄県を設置したが、これを琉球処分と呼ぶ。
a0226578_1013543.jpg
(東京法令「日本史のアーカイブ」より)
a0226578_10143682.jpg
(東京法令「日本史のアーカイブ」より)
2) 北方領土
 幕末以来、ロシアとの間に懸案となっていた樺太の領有問題は、明治政府も引き続いて交渉に当たっていた。その後ロシアの南樺太への進出が強まるにつれ、政府内部には北海道開拓に全力を注ぐために樺太を放棄せよという意見が強くなった。1874年、政府は北海道開拓と北方防備を行う屯田兵制度を設けたうえで、1875年に樺太はロシア領、千島全島は日本領とする樺太・千島交換条約を結んだ。
 また、小笠原諸島も、一時占領していたイギリスとアメリカの承認を得て、1876年に日本領土とした。
a0226578_10151995.jpg
(東京書籍「図説日本史」より)
[PR]