カテゴリ:旅行記( 287 )

 私がここで購入した『ナスカの地上絵』という本によって地上絵についての情報を提供しよう。 
 ナスカの地上絵の研究は、1939年に北アメリカのポール・コソックによって調査が始められた。そして、1941年にナスカの地上絵は「世界一巨大な天文カレンダー」であると発表した。そして、その研究はドイツ人数学者マリア・ライヘへと受け継がれる。
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(マリア・ライヘ)
 彼女はナチスドイツを嫌ってペルーに移住し、ポール・コソックの助手となった。そして、その生涯を地上絵の測量と研究、保存に捧げることとなった。
 さて、一つ一つの地上絵がいつ頃描かれたものであるかを正確に判定することは難しい。しかし、1991年に行った調査によれば、パラカス文化ネクロポリス期、パラカスーナスカ文化期、ナスカ文化期の紀元前193年から紀元648年に描かれたものである。
 地上絵には、20㎝から1mの深さの溝を掘って描かれたものと、表面の石を取り除き、線の両縁にそれらの石を並べて図像を形成しながら描かれたものがある。両タイプともに風によって溝に砂がたまらないよう、消えにくい構造になっている。
 最も古い地上絵は、パラカス文化のものである。淺浮き彫りで造られたこの地上絵のモチーフには、織物や土器同様に、動物型・人間型神話的存在が用いられた。
 地上絵の意味と目的については様々な説がある。
① 地上絵が平原で行われていた豊穣の儀式に関連していたという説。
② 地上絵と地下水路、墓を関連づけて、それらが聖なる道であったという説。そして、その説に付け加えて、描線は、宗教的な目的で人々が集まるところを指し示していたという説。
③ 天文学カレンダー説。マリア・ライヘはこの説を支持し、平原にはナスカ文化の星座が表現されていると加えた。しかしながらこの説は、天文学者ホーキンスによって否定された。平原にある図像の80%以上が天文学現象とは関わりがなかった。
 その他には、住民が地上絵を描くという労働を続けることで人口の爆発的急増を防いでいたという説、平原は黒板の役目を果たし灌漑計画や地下水路をなぞっていたという説もある。さらに、呪術的行為と関連づけて、幻覚症状を引き起こす、「アヤワスカ」(向精神性の飲料)を用いて描いたものであるという説まである。
 現在、研究者の中で最も有力と考えられているのは①である。地上絵は「山々の神々」と平原内の聖なる地点を結ぶものであり、巡礼や水への信仰にも関係していたと言われている。
 私たちはナスカの地上絵を見学した後、空港からナスカ市内に戻り、レストランでランチを食べた。市内のアルマス広場には人物像が置かれていた。
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(フランシスコ・ポロネーズ像)
 現地ガイドのミゲルさんの話しでは、この像の人物はフランシスコ・ポロネーズで1879年にペルーがチリとボリビアと戦ったときの英雄だそうだ。
 ミゲルさんは日本に出稼ぎに行ったことがあり日本語はぺらぺらであった。彼は何でもよく知っており、特にペルーの元大統領藤森さんについては詳しかった。藤森さんは日系ペルー人であると知っているのに、彼のことをペルー人は皆チノーと呼んでいたらしい。チノーとはチャイナつまり中国人のことであり、ペルー人にとっては、日本人も中国人も同じだと思われているようだ。藤森さん自身も自分のことをチノー藤森と言っていたとのことだ。
 私がペルーの観光について訪ねると、年間の観光客数は300万人でそのうち日本人は20万人だそうだ。マチュピチュなどの世界遺産があるのに300万人の観光客とは少なすぎるのではないかと思った。
 昼食後、私たちはバスでリマへと戻ったが、途中に日系のペルー人が経営するお土産屋さんがあった。そこで私はペルーの名産品であるアルパカのセーターとペルー産コットンのTシャツを買った。
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(現地ガイドのミゲル)
 日系のペルー人が経営するお土産屋さんでのツーショット、大きなアルパカの人形があった。アルパカは衣類の原料として飼われており、同じラクダ系のリャマは労働のために飼われている。
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(アルパカのセーター)
 ここのお店で買ったベビーアルパカのセーター。ベビーアルパカは毛が柔らかく、アルパカが最初に刈り取った毛のことをベビーアルパカと呼ぶ。このような柔らかい毛は一度だけであり二度と生えてこないそうだ。
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(コットンのTシャツ)
 ペルーはコットンも有名で、このコットンTシャツにはナスカの地上絵が13も描かれている。
 バスがリマのホテルに着いたのは午後6時頃であった。
 翌朝、午前9時15分頃、ホテルを出発し、15分でリマの空港に到着した。
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(リマの空港)
 私たちは12時20分のロサンゼルス行きの飛行機に乗り、ロサンゼルスには午後6時頃到着した。ロサンゼルスの空港には、以前掲示されていたオバマさんの写真は下ろされていた。しかし、トランプさんの写真は掲示されていなかった。私たちは1月23日(月)の0時5分の羽田行きに乗り、約12時20分かかって羽田に到着したが、日付は1月24日(火)5時25分であった。羽田から大阪空港に乗り継ぎ、大阪に到着したのは午前9時10分頃であった。
 以上で南米(マチュピチュ・イグアス)旅行記は終わりです。長い間ブログを見ていただいてグラーシャス(ありがとう)それではみなさんアディオス(さようなら)
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(観光9日目)
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(私たちが宿泊したナスカのホテル)
 1月21日(土)午前8時にナスカのホテルをバスで出発し、20~30分ほどでナスカの地上絵を観光するセスナ機の飛行場に到着した。
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(セスナ機の飛行場)
 朝早くからセスナ機に搭乗しようと観光客が順番を待っていた。セスナ機に乗るにはパスポートや体重測定などが必要である。セスナ機は8人乗りで左右のバランスが大切で、体重によって1番から8番までの乗車位置が決められる。私たちのツアーは7人なので、セスナ機にはもう1人女性が私たちと一緒に乗ってこられたが、ペルー人のようであった。飛行場で30分ほど待たされて、いよいよ私たちは飛行機に乗り込んだ。
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(私たちが乗ったセスナ機)
 セスナ機に乗る前に現地の添乗員さんから地上絵についての簡単なアドバイスと地上絵の地図を渡された。
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(地上絵の地図)
 私は地上絵をテレビで見たことがあり、きれいに撮影されていた。しかし、テレビの撮影は何十回も撮影してそれを編集したものであり、そう簡単に見えるものではないということだ。セスナ機が飛び立って最初に見えるのが地図の1番のクジラ(63m)である。次に2番のコンパスと台形、3番が宇宙飛行士(32m)、4番がモンキー(110m)、5番が犬(51m)、6番がコンドル(136m)、7番がクモ(46m)、8番がコリブリ(ハチドリ)(96m)、9番がアルカトラス(サギ)(280m)、10番がオウム(200m)11番が手(45m)、12番が木(70m)という順番に見えるらしい。実際の大きさを教えてもらったので( )内に書いた。
 特にアドバイスとして、セスナ機の右側に座っている人から説明があり、同じものを今度は左側の人に説明をする。だから左側に座っている人は右側の説明の時に首を反対側に向けて見ていると酔ってしまうので、自分の側だけを見るようにといわれた。
 いよいよセスナ機に搭乗したが、私の座席は1番でパイロットのすぐ後の左側の席であった。セスナ機が飛び立つと、すぐに右側にクジラが見えますと案内してくれた。私は好奇心が強く、アドバイスを無視して首を右に向けてクジラを探したが分からない。やがてセスナ機は左に向けたので首を左に向けると頭がくらくらとして酔ってしまいクジラを撮すことが出来なかった。やがて台形が見えてきた。
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(台形)
 次に宇宙飛行士が見えてきた。
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(宇宙飛行士)
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(宇宙飛行士)
 次にハチドリが見えてきた。
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(ハチドリ)
 次にオウムが見えてきた。
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(オウム)
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(オウム)
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(何が描かれているかよく分からない)
 残念ながら私が地上絵で分かったのは4つだけであった。ツアー参加者の中には全部見えたという人もいた。私は酔い止めの薬を飲んで全部見てやろうとしたが、最初にアドバイスを無視して右へと首を回したのが良くなかったようだ。後で聞いた話だが、私たちのセスナ機に乗ったペルー人と思われる女性は飛行機に酔って機内で吐いていたとのことである。彼女は一番後ろに乗っていたために私は全く知らなかった。もし私の近くで吐いていたら、私も吐いていたかもわからなかった。
 地上絵はあまり見られなかったので、ナスカの山を撮影した。
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(ナスカの山が見える)
 ここが砂漠地帯であることがよく分かる。
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 ここで購入した『ナスカの地上絵』という本によると、「パラカス文化の後継であるナスカ文化は、イカ県ナスカ郡のグランデ河谷で発展した。その初期は、ナスカの祭祀センターであるカワチが中心地として栄え、後期になると北はカニェテ(リマ県)、南はアカリ(アキレバ県)までその影響が広がった。パラカス文化ネクロポリス期との共通点は、神格化されたネコ科の動物のモチーフと鮮やかな色使いにある。しかし、ナスカ文化独特の芸術シンボルは、土器や織物、ナスカ平原に描かれた幾何学形の図であろう。」
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(左は音楽家を表現する土器、右は墓から見つかったナスカの織物の一片『ナスカの地上絵』より)
 「初期のナスカ文化は、政治勢力および社会、宗教の中心地をカワチに置いた。しかし、紀元400年頃にはその支配が弱まり、各地の領主が治めるようになった。政治、社会システムはそれぞれ異なっていたが、共通の信仰を維持していた。・・・ナスカは6世紀末にエルニーニョ現象の被害を被った。極度の干ばつに見舞われ、弱い荘園はさらに分割していき、人々はよりよい条件を求めてアンデス地帯に移動していった。また、同時に、これらの分割した海岸荘園地帯を支配する勢力が近郊のアンデス地帯から現れる。アヤクチョを起点とするワリ文化(600年~1200年)の出現である。ワリは、社会経済システムを確立し、軍事力を増大することでナスカ地帯の住民たちを新しい帝国に従属させた。ワリ帝国は、その支配を南北に拡大し、現在のペルー全域に近い国土を誇った。」
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(儀式用の土器。神話の中の人物が手に首級を持つ図像。土器のつやが特徴『ナスカの地上絵』より)
 「ナスカの首級は、体から頭を切り離した後、脳を除去してミイラ化したものである。通常、まぶたと唇は、刺で閉じられた。これは、首を切られた人の魂が所有者に悪さをしないようにという意味が込められていた。ナスカの人がなぜこの行為を行っていたのかは、まだ明らかになっていない。唯一解明されていることは、戦いで死んだ別の敵部族のものではなく、宗教的な儀式の中で生贄とされた地元部族のものであったということだ。一部の研究者によると、死亡後、首を切り取り、ミイラ化して、家族が所有していたケースもあるという。ナスカ文化の土器には、首を切られ、コンドルやハゲタカなどの死骸を食べる鳥に鳥葬にされる人体を表す、首級をテーマにしたものが数多くある。また、研究者によると首なしの遺骨が埋葬されている墓は発見されていない。このことから、斬首された人物は埋葬されなかったのではないかと推定されている。
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(中央は首級をモチーフとした石の彫刻、上下はミイラ化された首級『ナスカの地上絵』より))
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(首級をモチーフにした土器、唇は刺で閉ざされている。『ナスカの地上絵』より)
 「ナスカの土器は、その多彩な装飾と彩色、艶出しの技術から、ペルーの先スペイン期文化の中でも特出している。さらに、柔軟な粘土を原料に用いることで薄造りであるのもその特徴のひとつである。・・・土器の図像はナスカの地上絵の図像と深いつながりがある。地元だけでなく他の地域の動植物や、人間的存在、神話的存在、首級、悪魔に取り憑かれたような頭など、特徴的なモチーフが用いられた。
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(ナスカ文化の典型的な土器。丸形で双注口(ふたつの口)、取っ手が橋形。色は酸化鉱物を用い、蜜を吸うハチドリの絵が描かれている。この絵は、水と豊穣を表現している『ナスカの地上絵』より)
 私たちはパルパの地上絵を見学した後、午後6時頃にホテルに到着した。ホテルにはナスカの地上絵の模型が置かれていた。
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(ナスカの地上絵の模型)
 ホテルでの夕食後、ホテルの側にある建物でナスカの地上絵と関連するプラネタリウムを日本語で解説してくれるという。料金は1人20ドルと高かったが、このような経験は二度と無いだろうということで私は参加した。
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(プラネタリウムを体験した建物)
 プラネタリウムはナスカの地上絵と関連させて解説されており興味深かったが、長旅の疲れが出てしまったのか、食事の後だったということもあり、私はプラネタリウムの半分は寝ていた。いよいよ明日はナスカの地上絵を見ることが出来るので楽しみだ。
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(観光8日目)
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(昨夜リマで宿泊したシェラトンホテル)
 1月20日(金)午前8時頃にホテルを出発し、バスでナスカへと向かった。
 リマからナスカへは距離で約450㎞、所要時間は約8時間の予定である。私たちのツアーはいろいろな面で贅沢である。マチュピチュ村では一番良いホテルに泊まることができたし、村に泊まることによって午前中にマチュピチュ遺跡をたっぷり見学することが出来た。また、今回のナスカの地上絵を見学するために、わざわざ二日もかけている。別のツアーではリマから直接ナスカへとセスナ機で飛び、地上絵の見学時間を短縮している。しかし、セスナ機は小型で大変揺れるので身体にはきつい。私は地上絵を見学するのにわずか30~40分しか乗っていないのに酔ってしまった。
 バスで移動することによって、ペルーのいろいろな風景を楽しむことが出来る。バスは太平洋の海岸に沿って走った。バスが30分ほど走るとビーチが見えてきた。
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(ビーチが見えた)
 海岸沿いには白いきれいな建物が見えてきた。金持ちの別荘であろうか。
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(海岸沿いに白い建物が見える)
 道路が海岸から少し離れると耕地が見えてきた。
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(耕地がみえてきた)
 ペルーは4400種近い当地原産の食物が存在するほど食物の豊富な国である。しばらく走るといよいよ砂漠が見えてきた。
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(砂漠が見えてきた)
 私たちは砂丘の見えるレストランでランチにセビーチェを食べた。
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(レストランにはドゥナスと書かれているが、ドゥナスとは砂漠という意味)
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(セビーチェ)
 セビーチェとは生の魚介類を細かく切って、みじん切りにしたタマネギやトマトとレモン汁を混ぜ合わせたもので、ペルーの名物料理である。私はセビーチェを初めて食べたがとても美味しかった。
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(砂丘が見える)
 バスはピスコからパラカスを経てイカへとやって来た。イカは人口23万人の都市でイカ州の州都である。ナスカの地上絵はここからセスナ機で見学するコースが多い。イカからナスカへの途中には砂漠の中にパルパの地上絵が見られる。
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(砂漠地帯)
 私たちは午前8時にリマを出発して午後4時頃にバスを降りて、ようやくパルパの地上絵を見学することになった。そこには櫓が設置されてあり、みんなで記念写真を撮ったが風が強かった。
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(櫓での記念写真)
 やぐらからパルパの地上絵が見えた。
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(パルパの地上絵)
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(パルパの地上絵)
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(パルパの地上絵)
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(パルパの地上絵)
 この場所でナスカの地上絵に関する本を購入した。
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(ここで本を購入)
 ここで購入した『ナスカの地上絵』という本には、この地域の歴史が書かれているので紹介しよう。
 「約9000年前のこの地帯は、遊牧民や狩猟採集民が行き来していた。彼らは、砂漠を横切る肥沃な渓谷に生息する魚や軟体動物類を採り生活していた。そして、約4000年前から最初の定住が始まった。この形跡は、現在も確認することができる。・・・紀元前1800年から紀元元年頃には、海抜3180mのアンカシュ県カジェホン・デ・コンチュコスで、土器文化の始まりと言われるチャビン文化が興った。一方、ピスコ郡のパラカス半島周辺では、そのマントや頭蓋骨の穿孔や変形で有名なパラカス文化が発展した。これは、ペルー海岸地帯で栄えた最も古い文化(前800年頃)のひとつである。その後、パラカス文化の南側で、地上絵で有名なナスカ文化(100年~600年)が興った。ナスカ文化衰退以降、この一帯は、ワリ(600年~1200年)や後のインカ(1400年~1532年)といった大きな勢力に支配され、豊かな歴史を育んでいった。」と書かれている。




 

 
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 昨日アルゼンチン側から見た滝よりもブラジル側から見る滝の方が壮観である。
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(ブラジル側から見たイグアスの滝)
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(ブラジル側から見たイグアスの滝)
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(ブラジル側にも沢山の観光客がいた)
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(ブラジル側にも沢山の観光客がいた)
 ブラジル側にもハナグマがいた。
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(ハナグマ)
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(ブラジル側から見たイグアスの滝)
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(ブラジル側から見たイグアスの滝)
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(ブラジル側から見たイグアスの滝)
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(ブラジル側から見たイグアスの滝)
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(ブラジル側から見たイグアスの滝)
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(ブラジル側から見たイグアスの滝)
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(ブラジル側から見たイグアスの滝)
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(ブラジル側から見たイグアスの滝)
 滝の音がものすごく大きくて、ここにいると難聴になってしまいそうだ。
 滝の近くにはエレベーターがあり、私たちはそれに乗って上に行くとそこにはレストランがあった。ここで私たちはランチを食べながら女性の演奏を聴くことが出来た。
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(レストランでの生演奏)
 レストランを出るとイグアス川が静かに流れていたが、川の右端にしぶきが見えるがあそこがさっきまで私たちがいた滝になっている。
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(イグアス川)
 レストランの近くに変わった植物が生えていた。
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(モンステラ)
 ガイドの木村さんに聞くと、これは観葉植物で現地ではフィロデンドロと呼び日本名はモンステラだそうだ。
さらにレストランの近くには小さな銅像が置かれていた。
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(アルベルト・サントス・デュモンの銅像)
 彼はアルベルト・サントス・デュモンという名前のブラジル出身の発明家、飛行家である。彼は成人してフランスに渡り、航空のパイオニアとして活躍したが、主に飛行船の造船で有名となり、さらに飛行機の公開実験にも成功しヨーロッパ初の飛行機製作者となっている。ブラジルでは飛行機の父、飛行機王と呼ばれるほど偉大な発明家であり、未完に終わったもののヘリコプターをも開発していたことで知られている。第一次世界大戦においてヨーロッパで飛行機や飛行船が戦争に使用されると、失望してブラジルに帰ったが、ブラジル本国でも飛行機が内戦に使用されていた。彼はそれに反対して著名人から署名を集めたがブラジル大統領はこれを無視したため、絶望したサントスはホテルにおいてネクタイで首を吊って自殺した。現在のブラジルではデュモンの名が大きく残され、その名を冠した空港、博物館等の公共施設や勲章の他、催しも多く存在している。フランスの高級時計メーカールモンドは彼の名前からきていると、木村さんが教えてくれた。
 イグアスの滝を見学した後、私たちはイグアス空港へと戻り、約4時間かかってリマ空港に到着した。すぐにバスでホテルへと向かったが、ホテルに到着したのは23時30分頃であった。
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(観光7日目)
 1月19日(木)午前12時5分、私たちはホテルを出発し、バスでイグアスの滝・ブラジル側観光へと向かった。バスの中で現地ガイドの木村さんがブラジルについての簡単な説明をしてくれた。
 ブラジルは1500年にポルトガル人のカブラルが偶然に「発見」し、以後ポルトガルの植民地として他の南北アメリカ大陸とは異なった歴史を歩むことになった。1502年にはイタリア人のアメリコ・ヴェスプッチがリオデジャネイロを命名している。コロンブスは到着したこの地を最後まで東インドの一部だと信じており、原住民をインディオと呼んだのも彼の間違いから来ている。この地をヨーロッパ人の知らない新大陸であると初めて明らかにしたのがアメリコ・ヴェスプッチであり、彼の名前からアメリカ大陸と呼ばれるようになった。ブラジルの名前の由来はポルトガル語で染料に使われるブラジルと呼ばれる「赤い木」が沢山生えていたことからきている。ブラジルの独立運動は1820年に起こり、1822年にポルトガルからの独立を達成した。首都はリオデジャネイロであったが、1860年に現在の首都ブラジリアに遷都した。なぜブラジリアかというとこの地は国の真ん中にあるからだと木村さんが教えてくれた。
 バスは20分ほどでイグアス国立公園に到着した。
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(イグアス国立公園)
 アルゼンチンの国立公園は6万7000平方mであったが、ブラジルの国立公園は18万6000平方mとアルゼンチンより3倍広く、東京都の面積に匹敵するほどの広さを誇っている。
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(イグアス国立公園の看板)
 公園には国立公園専用のバスであろうか、かわいい動物の絵が描かれたバスが駐車していた。
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(動物の絵が描かれているバス)
 公園の入口にはイグアスの滝が見えていた。
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(公園入口から見えているイグアスの滝)
 私たちはここで記念写真を撮った。
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(イグアスの滝での記念写真)
 昨日アルゼンチン側から見たイグアスの滝より、ブラジル側から見た方が滝の全体像がよく分かる。昨日ボートに乗った場所が見えてきた。
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(昨日乗ったボートが見える)
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(ボート乗り場)
 私たちは遊歩道を歩きながら様々な滝の景色を楽しんだ。
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(イグアスの滝)
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(イグアスの滝)
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(イグアスの滝)
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(イグアスの滝)
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(イグアスの滝)
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(イグアスの滝)
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(虹がかかっている)
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(ボートが滝の中へ)

 
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 私たちはいろいろな滝を見学した後、ボートツアーに挑戦した。
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(イグアスの滝)
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(イグアスの滝)
 私は靴を脱いでビーチサンダルに履き替え、カッパを着てボートに乗り込んだ。私はカメラをもっていこうかと悩んだが防水カメラではないので用心して置いてきた。ボートはかなり大きく、他の旅行客と一緒だったが若者が多かった。ボートは何回も滝の中へ突っ込み、私たちの身体は池に潜ったようにびしょ濡れとなった。ボートの中では写真を撮る余裕がなく、カメラは間違いなく壊れてしまっただろう。私の友人は防水用の袋にカメラを入れて持ってきたが、カメラは水浸しとなり壊れてしまったとのことである。
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(イグアスのボート)
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(イグアスのボート)
 上からボートを見ていると虹がかかっていた。
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(虹がかかっている)
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(イグアスの滝)
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(イグアスの滝)
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(虹のかかった滝)
 私はトイレで下着や服やズボンを全て着替えてバスに乗り込みホテルへと向かった。車中からきれいな花を見かけた。
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(きれいな花が咲いている木)
 私たちはバスでアルゼンチンからブラジルへと国境を越えた。その時、バスから下車して各自がブラジル側の事務所で入国書に記入し、パスポートとビザを見せてやっと入国の手続きを終えた。日本人がブラジルに行くにはビザが必要である。1万円以上のビザ代が必要であり、さらにビザを申請する手続きの手数料を旅行会社に払わなければならなかった。私はネットでビザを申請しようとしたが、名古屋まで行かなければならないので断念して旅行会社に頼んだ。韓国人はビザが必要ないのになぜ日本人にはビザがいるのかとブラジル人の現地ガイドの木村さんに聞いてみると、日本政府がブラジル人の日本への入国に対してビザを必要とするからであるとの回答であった。ところで、なぜ大阪にはブラジル領事館がなく名古屋にあるのかと聞くと、トヨタで働いているブラジル人が多いからであると誰かが教えてくれた。
 私たちはアルゼンチン側のイグアスの滝を堪能したので、わざわざ高い金を払ってブラジル側のイグアスの滝を見ることもないだろうと考えたが、実際に次の日にブラジル側のイグアスの滝を見てその考えが間違いであることが分かった。
 私たちはブラジルのホテルにチェックインして各自の部屋で休息した後、バスでレストランへと向かった。日程表には、「夕食は名物シュラスコです。(南米各地のショーと夕食をお楽しみください)」と書いてある。シュラスコとはポルトガル語で鉄串に牛肉や豚肉、鶏肉を刺し通し、塩をふって炭火でじっくり焼く、ブラジルをはじめとする南アメリカの肉料理であり、アルゼンチンのアサードと同じである。
 大きなレストランは大勢の客でごった返していた。沢山のチップを払ってくれたからか、私たちは一番前の席でショーを見ることができた。
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(レストラン)
 料理はバイキング形式で、シュラスコだけではなく寿司などあらゆる料理が並んでいた。
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(シュラスコやお寿司やパスタもある)
 今回のツアー参加者は私を含めお酒に弱い人がほとんどで、私も今までビールを飲んでいなかったが、ブラジルのビールがどんな味がしているのか試してみることにした。
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(ブラジルのビール)
 ブラジルのビールもわりと飲みやすかった。アルゼンチンタンゴは写真に撮ることができなかったが、今回はオッケーということで、沢山カメラに収めた。
 ショーは各国の民族音楽や踊りを見せてくれて楽しかった。特に良かったのは、どこの国の音楽や踊りなのかを前の画面で紹介してくれたことである。
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(民族ショー)
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(民族音楽)
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(アルゼンチンタンゴ)
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(メキシコの踊り)
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(ブラジルのサンバ)

 
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 悪魔の喉笛展望所には大勢の観光客が押し寄せていた。
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(悪魔の喉笛展望所)
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(大勢の見学者)
 喉笛展望所を見学した後、私たちは同じ遊歩道を歩いてトロッコ列車へと向かった。
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(遊歩道)
 イグアスの滝国立公園には沢山の野生の動物がおり、きれいな鳥を見かけた。
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(きれいな鳥)
 トロッコ列車のホームにはハナグマがいた。
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(ハナグマ)
 ハナグマは食肉目アライグマ科に属している動物で、南アメリカの アンデス山脈より東に分布している。
 私たちは再びトロッコ列車に乗った。
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(トロッコ列車)
 イグアスの滝の数は275個もあり、その7割はアルゼンチン側にある。私たちはさらに滝を見学した後、ボートツアーを体験することになっている。トロッコ列車を下車してジャングルを歩いたが、今度は猿や大きなトカゲを見かけた。
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(猿)
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(大きなトカゲ)
 歩いているとやがていろいろな滝が見えてきた。
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(イグアスの滝)
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(イグアスの滝)
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(イグアスの滝)
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(イグアスの滝)



 
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(観光6日目)
 1月18日(水)午前6時45分に私たちはホテルを出発し、バスでブエノスアイレスの空港へと向かった。
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(ブエノスアイレスの空港)
 私たちは9時5分発のイグアス行きに乗り込み、11時30分頃に目的地に到着した。到着後すぐにレストランへと向かった。このレストランはカタラタス・デル・イグアス(イグアスの滝)国立公園の中にある。この公園は1934年に造られ、6万7000平方mの広さがある。
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(イグアスのレストラン)
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(レストランの周辺)
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(レストランの周辺)
 レストランは広大でバイキング形式となっており、さすがに人気のある観光地とあって世界中の観光客が押し寄せるので世界各国の料理が用意されていた。このレストランで虫除けのクリームを塗り、いよいよ世界遺産イグアスの滝へと出発した。現地ガイドは木村さんという日系のブラジル人であった。
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(現地ガイドの木村さん)
 木村さんからイグアスの滝の観光パンフレットをもらった。
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(イグアスの滝パンフレット)
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(三大瀑布の比較)
 添乗員さんからもらった三大瀑布を比較したパンフレットによると、イグアスの滝の幅は2700mで、ヴィクトリアは1708m、ナイアガラは670mである。滝の数はイグアスが275個、ヴィクトリアが1個、ナイアガラは3個であり、同じ瀑布でもヴィクトリアが最大である。ツアーに参加された方の何人かはナイアガラにも行かれていたが、ここの滝を見たらナイアガラに行く必要はないとおっしゃっていた。
 イグアスの滝はアルゼンチンとブラジルとの国境となっており、滝の7割がアルゼンチン、3割がブラジルが占めている。私たちは今日アルゼンチン側の滝を見学し、明日はブラジル側から見学する。
 私たちはトロッコ列車に乗って滝の見学へと向かった。
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(トロッコ列車)
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(トロッコ列車)
 トロッコ列車を降りてイグアスの滝へと歩いた。イグアス川が見えてきた。
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(イグアスの滝へと向かう遊歩道)
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(イグアス川)
 イグアス川は、南米パラナ川の支流中で最も壮大な流れを持ち、ブラジルの海岸山脈を起源とする川である。全長は1,320kmにおよぶ。ブラジル海岸山脈を発したイグアス川は、初めは西方へおよそ690km流れ、やがてパラナ川に合流する。合流点の手前25km地点に世界三大瀑布の一つであるイグアスの滝がある。
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(川には魚が泳いでいた。)
 いよいよ滝が見えてきた。
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(イグアスの滝)
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(滝に虹が見えている)
 悪魔の喉笛と呼ばれている展望所で写真を撮ったが、身体はかなり水に濡れてしまった。
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(悪魔の喉笛)





 
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 次に私たちはバスでボカ地区のカミニートへと向かった。タンゴ発祥の地とされているボカ地区はサッカーも盛んなところで、有名なボカ・ジュニアーズのホームスタジアムがあると隈部さんが教えてくれた。
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(ボカ・ジュニアーズのホームスタジアム)
 ジュニアーズに所属していたテベス選手が中国に引き抜かれたと、ここでは大変な話題になっていたとのことである。ところでスペイン語でボカとは口(入口)という意味で、ここに最初の港が造られたのでその名がある。
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(遠くに港が見える)
 カミニートは小径(こみち)という意味で、ブエノスアイレスの観光地として大変有名な場所である。その理由は、有名なアーティストや建築家が街を生まれ変わらせようと、1950年以降に彫刻や壁画が施されるようになったからである。
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(カミニート)
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(カミニート)
 カミニート通りの隣の小径はレストラン街になっており、そこではプロのダンサーがタンゴを踊っていた。
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(レストランではタンゴが踊られていた)
 通りではダンサーがチップをもらって写真を撮らせていた。観光客の夫妻もタンゴを踊る記念写真を撮っていたので私も撮らせてもらった。
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(タンゴを踊る観光客の夫妻)
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(右の小径がカミニート通りで左の小径はレストラン街、真ん中の建物にはお土産を売る店が入っていた)
 カミニート見学後、私たちはバスでホテルへと向かったが、7月9日大通りには、エビータの顔が描かれたビルがあった。
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(エビータの顔が描かれたビル)
 このビルは労働センタービルで、前の大統領であったクリスティーナがエビータの顔を描いてくれと頼んだとのことである。
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(第56代大統領クリスティーナ)
 彼女はエビータのファンであったらしいが、エビータの人気を利用しようとしたのかも分からない。
 ホテルに到着して部屋で休憩した後、私たちはレストランでの夕食後、アルゼンチンタンゴを楽しんだ。
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(レストランの奥にステージがある)
 このレストランは有名で日本のガイドブックにも載っていた。料理にはワインやジュースなどが無料でついており、料理もいろいろなメニューを選ぶことが出来た。私は日頃食べることが出来ないビーフステーキをまた注文してしまった。
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(ビーフステーキ)
 このビーフステーキはお昼のよりも美味しかったが、お腹がいっぱいでほとんど残してしまった。食事が終わった頃にショーが始まった。残念ながらプロのダンサーが踊っている写真は撮ることができなかったが、本場のアルゼンチンタンゴの迫力には感動した。

 
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