カテゴリ:世界史講座( 145 )

3 9.11事件とイラク戦争
1) 9.11事件
 2001年9月11日、ハイジャックされた民間機2機がニューヨークの世界貿易センタービルに突入し、約3000人の死者を出した。G.W.ブッシュ大統領は、イスラーム原理主義組織アルカイダの犯行であるとし、同組織の拠点となっていたアフガニスタンのタリバーン政権に対して、10月には空爆による攻撃を開始し、タリバーン政権は11月に瓦解した。
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2) イラク戦争
 また、ブッシュ大統領は2003年に、イラクのフセイン政権に対し大量破壊兵器保持の危険があるとして、宣戦布告した。米英軍の攻撃によってフセイン政権は崩壊し、米英軍の占領の後、2004年6月にイラク暫定政権に権限が委譲された。イラク戦争は、国連安保理の武力行使決議を得ることなく実行されたため、フランス、ドイツ、ロシアはこれを批判し、アジアやヨーロッパの諸国は戦争の支持をめぐってゆれた。日本政府はブッシュ大統領の政策を支持し、特別措置法を制定してアフガニスタン攻撃では後方支援のために自衛艦をインド洋に派遣し、イラク戦争では戦後復興支援のために自衛隊をイラクに派遣した。
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3) 地球市民の視点で
 国境を越えた相互依存が進む21世紀には、国家の軍事力や経済力だけでは安全で快適な社会は保障できない。国際連合などの国際機関とともに非政府組織(NGO)の国際的活動を組み入れ、生活、環境、雇用、などを守る「人間の安全保障」を追求する必要がある。「文明の衝突」ではなく、「文明の対話」を進めるためにも、東西文明の交点に位置している日本の役割は大きい。
(おわりに)
 世界史講座は、私が実際に高校で教えた世界史のプリントを使って、原始・古代から現代まで3年以上かかってついに最終回を迎えました。私は高校の授業で、現代史まできちっと終わらせるということを重視してきました。そのため40名の生徒を相手に資料などを使ってじっくりと授業をすることがなかなかできなかった。しかし、この世界史講座では少人数で時間を気にすることもなく、楽しく授業をすることができました。参加していただいた皆さんのおかげです。
 次はいよいよ日本史講座が始まります。第1回日本史講座は7月26日(土)午後2時より行います。
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2 分裂にゆれる国際秩序
1) 湾岸戦争
 米ソ冷戦体制の終結は、戦後の国際秩序の崩壊を意味した。内戦や地域紛争が増加し、国家や民族の複雑な利害が関係するために、国際機関の関与による紛争処理が求められるようになった。
 1991年の湾岸戦争では、クウェートに侵攻したイラクに対し国連安保理は撤退要求と武力行使を決議し、アメリカ軍を主とする多国籍軍がハイテク兵器を駆使して攻撃し、短期間でクウェートを解放した。
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2) カンボジア内戦とソマリア・ボスニア・コソヴォ紛争
 内戦が続いていたカンボジアでは、1992年に国連カンボジア暫定統治機構(UNTAC)のもとで、総選挙が実施され、新憲法が制定された。国連の平和維持活動の役割が重視されるようになった。しかし、ソマリアでは紛争当事者の武装解除に失敗し、旧ユーゴスラヴィアのボスニア紛争やコソヴォ紛争では国連決議なしにNATOがセルビアに対する制裁の空爆を行い、その是非をめぐって国際世論は分裂した。
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(第一学習社「最新世界史図表」より)
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(第一学習社「最新世界史図表」より)
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(第一学習社「最新世界史図表」より)
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(第一学習社「最新世界史図表」より)
3) アフリカの紛争
 南アフリカでは、世界の非難にもかかわらず続けられてきた人種隔離政策(アパルトヘイト)が1991年に廃止された。しかし、中部アフリカのルワンダで起こった内戦では数十万人の虐殺と難民が生じ、紛争は隣国の今後やウガンダに拡大した。
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(帝国書院「タペストリー」より)
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(第一学習社「最新世界史図表」より)
4) 中東の紛争
 中東では、ヨルダン川西岸とガザ地区でイスラエルの占領に反対するパレスティナ人の抵抗運動(インティファーダー)が強まったが、1993年にイスラエルとパレスティナ解放機構(PLO)は二つの国家の共存に合意したが、この会談はノルウェーの首都で行われたのでオスロ合意と呼ぶ。協定に基づき、翌年からイェリコなどでパレスティナ人の暫定自治が開始された。しかしイスラエルは、自爆戦術を含む抵抗運動を軍事力によって制圧する政策をとり、依然として中東和平の道筋は見えていない。
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(第一学習社「最新世界史図表」より)
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(第一学習社「最新世界史図表」より)
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(第一学習社「最新世界史図表」より)
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 第58回世界史講座は、7月12日(土)午後2時より受講者8名で行われました。世界史講座は今から3年前の2011年6月に始まりましたが、いよいよ今回が最終回となりました。今後は日本史講座を開講します。 
  Ⅴ グローバル化する社会
1 地球社会の到来
1) グローバリゼーション
 第二次世界大戦の終結からおよそ70年の間に、世界の人口は3倍以上の70億人を超え、国連加盟国は成立時の4倍の193か国に達している。交通電信技術の発達と拡大によって、人とモノと情報の移動は質量とも増加し、国境をこえ地球規模に拡大し、相互依存関係が強まっているが、これをグローバリゼーションと呼ぶ。
 1990年代以降、東西の政治経済体制の壁がなくなり、国家による投資や輸出入の規制が緩和・撤廃され、世界の貿易や金融は多角的に展開し、市場経済化が進んだ。1995年には経済自由化を円滑に進めるために世界貿易機関(WTO)が設立され、東南アジア諸国連合(ASEAN)、アジア太平洋経済協力会議(APEC)、EUは加盟国を拡大した。EUの加盟国は、2013年には28か国となっている。巨大企業は、世界規模で製造と販売ネットワークをつくり、先進国でも発展途上国でも同じ商品が店頭に並び、生活文化の画一化が進んだ。テレビとインターネットの普及により、音声や画像を含む情報が瞬時に世界中に伝わり、政治や経済に大きな影響を与えている。
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(東京書籍「新選 世界史B」より ただし、手書きの数字は2013年度のGDPを表している。)
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(東京書籍「新選 世界史B」より)
2) 経済格差
 世界の一体化が進む反面、発展途上国では、先進工業国との経済格差が拡大し、開発のための過重な債務をかかえ、森林をはじめ生態系の破壊や都市の人口爆発は深刻な問題となっている。地球温暖化などの環境問題はもとより、政治・経済・社会の諸問題は地球規模での解決が求められている。
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(東京書籍「新選 世界史B」より)
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6 20世紀末の日本
1) 貿易摩擦問題
 日本は、石油危機による世界的不況を技術革新と経済合理化でのりきり、1970年代後半には自動車、電気製品を中心に欧米市場への輸出を飛躍的に増加させた。この結果、欧米諸国との間に貿易摩擦問題が生まれるようになった。なかでも対米貿易黒字が急速に増えていったため、アメリカの批判はとくに強硬となった。また、1987年には、一人あたりのGNP(国民総生産)ではアメリカを追い越した。
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(東京書籍「図説日本史」より)
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(東京書籍「図説日本史」より)
2) バブル経済と平成不況
 日本経済は、1985年に大幅な貿易黒字が生まれたものの、国内では、設備投資が停滞したために、余剰資金が生じるようになった。余剰資金をかかえた金融機関は、土地や株を投機的に買ったために地価や株価が急激に上昇したが、これを「バブル経済」と呼ぶ。しかし、政府や日本銀行が融資の規制や金利の引き上げを行ったために地価や株価は急激に下落した。その結果、日本経済は長期にわたる不況に陥ったが、これを平成不況と呼ぶ。
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(東京書籍「図説日本史」より)
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(東京書籍「図説日本史」より)
3) 55年体制の崩壊
 1990年代には、政治不信が高まり、自民党は総選挙で敗北し、1955年の結党以来初めて政権の座をおりたが、これを55年体制の崩壊と呼ぶ。戦後日本の政治経済体制の閉鎖性に対する海外からの批判も強まった。政治、外交、行政、経済、教育の諸制度の見直しと改革が進められている。
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(東京書籍「図説日本史」より)
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4) 朝鮮半島
 北朝鮮では金日成が成立以来、最高指導者として実権をふるい、独自の理論である主体思想による硬直した政治が続き、経済的にも農業、工業ともに衰退し、1980年代には慢性的な食糧危機におちいり、1995年以降は連年、国際支援をあおぐようになった。しかし、核開発・ミサイル輸出疑惑に加え、国内での人権侵害、国際的な外国人拉致事件など、未解決の問題を抱えている。この間、冷戦の終結とともに1991年、韓国と同時に国連加盟が認められたが、中ソ両国がそれぞれ韓国と国交を結ぶなど北朝鮮の孤立化が進んだ。1994年の金日成の死後、息子の金正日が最高指導者の地位に就き、2000年6月には南北首脳会談を平壌で開いたが、その後の内政外交ともに大きな変化は見られない。
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(帝国書院「タペストリー」より)
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(帝国書院「タペストリー」より)
 韓国では、強大な権力を握ってきた朴正煕大統領が、1979年10月に暗殺された。その後、軍部の全斗煥大統領の統治を経て、1987年12月には16年ぶりの国民の直接選挙で盧泰愚が大統領に選出された。1992年には金泳三が大統領となって民主化が進んだ。1997年には大統領選挙で当選した金大中は、経済再建を進め、北朝鮮には、「太陽政策」を進め、2000年には南北首脳会談を実現した。2002年の大統領選挙では盧武鉉が当選し、対北宥和政策と経済改革を進めた。
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(朴正煕)
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(全斗煥)
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(盧泰愚)
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(金泳三)
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(金大中)
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(盧武鉉)
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(第一学習社「最新世界史図表」より)
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(第一学習社「最新世界史図表」より)
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 第57回世界史講座は6月28日(土)午後2時より行われました。受講者は7名でした。
5 アジア諸国の変貌
1) 中国
 中国では、1976年に毛沢東が死去して文化大革命が終わった。新たな指導者の鄧小平は、人民公社を解体し、「四つの現代化」(農業・工業・科学技術・国防)をかかげて経済の自由化と開放を進めた。対外的には、中ソ間の関係も修復された。しかし、1989年の天安門事件で政治の民主化運動は鎮圧され、1990年代も共産党一党支配の体制は維持された。この間「社会主義市場経済」という独自の経済政策をとり、年率10%前後の驚異的な経済成長をとげた。また、1国2制度の原則のもと1997年に香港がイギリスから返還され、1999年にはマカオがポルトガルから返還された。台湾では1980年代以降、経済成長に伴って政治の民主化が急速に進み、2000年に自立傾向の強い民進党が国民党にかわって政権についた。
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(第一学習社「最新世界史図表}より)
2) ヴェトナム
 南北統一後のヴェトナムでは、南部の社会主義化をめぐる混乱やカンボジアへの介入で経済活動が低迷した。しかし1986年、社会主義体制を維持しながら「ドイモイ(刷新)」という改革・開放を進めた。1995年には、東南アジア諸国連合(ASEAN)に加盟し、中国、アメリカとの関係も正常化した。
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(帝国書院「タペストリー」より)
3) ビルマ(ミャンマー)
 1948年にイギリスから独立したビルマは、1962年の軍部クーデターにより、軍部独裁政権が続いたが、1988年に全国で学生・市民がゼネストで決起した。しかし軍政は存続し、翌年の1989年に国名をミャンマーとした。。民主化運動の中心となったアウンサン・スーチーは国民民主連盟を結成し、1990年の総選挙では5分の4の議席を獲得した。しかし、軍事政権は国会を開催せず、活動家を逮捕、拘禁し、アウンサン・スーチーも自宅軟禁状態が続いた。
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(東京書籍「新鮮世界史B」より)
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3 冷戦後のアメリカ
 アメリカは、1980年代に公債発行による政府資金の調達と輸入の激増のために、財政赤字と貿易赤字が増大し、世界最大の債務国に転落した。しかし、冷戦終結で、アメリカはただ一つの超大国としての地位を占めるようになった。アメリカの軍事力は世界の中で突出し、1991年にクウェートに侵攻したイラクに対する湾岸戦争では指導権を発揮し、国際政治での発言権を強めた。1993年に就任したクリントン大統領のもとで、1990年代には経済状況も回復した。しかし、都市問題、麻薬、銃規制やマイノリティ(少数民族)の人権などの社会問題は未解決のまま残された。
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(帝国書院「タペストリー」より)
4 冷戦後のヨーロッパ
1) ヨーロッパ連合(EU)
 西ヨーロッパ諸国では、ソ連型社会主義の崩壊後も、議会制を基盤とした社会民主主義政党が保守政党とともに国民に支持を得てきた。
 ヨーロッパ統合は、経済・市場統合にとどまらず、さらに共通の外交・防衛政策を採用して政治統合をめざすマーストリヒト条約(ヨーロッパ連合条約)が1993年に発行され、ECはヨーロッパ連合(EU)と名称を改めた。1995年にはオーストリアなど3か国が加盟して15か国となり、1999年には11か国が統一通貨ユーロを導入した。
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(第一学習社「最新世界史図表」より)
2) ヨーロッパの変容
 ヨーロッパ統合の中心となったのはドイツとフランスであり、ドイツのコール首相とフランスのミッテラン大統領が大きな役割れを果たした。他方、イギリスでは、保守党のサッチャー首相が、ヨーロッパ統合の進展に対して慎重な態度をとり続けた。しかし、1997年の下院選挙で大勝して政権をにぎった労働党のブレア首相は、ヨーロッパ統合に積極的な態度をとったものの、統一通貨ユーロへの加盟には踏み切らなかった。しかし、ヨーロッパ統合の進展は、加盟国の様相を大きく変えた。1990年に調印されたシェンゲン協定で、EU加盟国の殆どの間では、国境での検問なしに自由に往来できるようになり、国境の意味は著しく低下した。
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(第一学習社「最新世界史図表」より)
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2 東欧社会主義圏の崩壊
1) ポーランド
 ペレストロイカは東欧の社会主義国にも大きな影響を与えた。ポーランドでは1980年以来、経済の悪化にともなってストライキが多発し、その中で生まれた自主管理労組「連帯」と政府の間で交渉が行われた。1989年の選挙で「連帯」が勝利し、翌年、「連帯」の指導者ワレサが大統領に選出された。
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(第一学習社「最新世界史図表」より)
2)ハンガリーとチェコスロヴァキア
 1989年、市場経済の導入と民主化が進められたハンガリーでは、同年、人民共和国にかわり、ハンガリー共和国が成立した。また、チェコスロヴァキアでも1989年に「プラハの春」の伝統を引き継ぎ、民主化を求める反政府デモが起こり、大統領が交代した。その後、チェコとスロヴァキアは1993年に合意に基づいて平和的に分離した。
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(第一学習社「最新世界史図表」より)
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(第一学習社「最新世界史図表」より)
3) ユーゴスラヴィアとルーマニア
 ティトーの指導の下で独自の社会主義建設を行ってきた多民族国家であるユーゴスラヴィアでも、1991年に民族対立が表面化し、セルビアとクロアティア、さらにボスニアでムスリム、セルビア人、クロアティア人との間に内戦が起こった。
 民主化の動きが見られなかったルーマニアでは、1989年、ソ連と対立しつつ独自の社会主義路線をとって独裁政権を維持していたチャウシェスク大統領が処刑され、政権は崩壊して、翌年に自由選挙が実施された。
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(第一学習社「最新世界史図表」より)
4) ドイツの統一
 東ドイツでは国外に亡命する市民が増大し、1989年11月にベルリンの壁が解放された。翌年には、アメリカ、イギリス、フランス、ソ連の承認も得て、東ドイツが西ドイツに吸収され、ドイツ藤一が実現した。また、1991年にはワルシャワ条約機構も解体された。
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(第一学習社「最新世界史図表」より)
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 第56回世界史講座は6月14日(土)午後2時より行われました。受講者は6名でした。
  Ⅳ 冷戦の終結と社会主義国の変貌
1 冷戦の終結とソ連の崩壊
1) 冷戦の終結
 1985年、政権についたゴルバチョフはブレジネフ時代に停滞したソ連社会を活性化させるため、ペレストロイカ(立て直し)とグラスノスチ(情報公開)をスローガンにした社会改革に乗り出した。1986年に生じたチェルノブイリ原子力発電所の史上最悪の事故は、情報公開と民主主義を欠くそれまでの体制の弱点を象徴するものであった。
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(第一学習社「最新世界史図表」より)
ソ連の改革を歓迎したレーガンアメリカ大統領との間で1987年に中距離核戦力(INF)全廃条約に調印した。ゴルバチョフ政権は1989年、アフガニスタンからの撤兵に踏み切り、東欧諸国への干渉を控えた。レーガンを継いだブッシュ大統領も対ソ和解をすすめ、米ソ両国は1989年、マルタ会談で冷戦の終結を宣言した。
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(帝国書院「タペストリー」より)
2) ソ連の崩壊
 改革を機に、ソ連の15共和国が自立の動きを加速させ、まずバルト三国が独立宣言した。1991年にペレストロイカと民主化に反対する勢力のクーデターが失敗すると、ソ連共産党は解体された。同年、エリツィンを大統領とするロシア連邦を中心に、旧ソ連の11共和国が独立国家共同体(CIS)を形成し、約70年続いたソ連は消滅した。
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エリツィン(第一学習社「最新世界史図表」より)
中央アジアでは、トルコ系の独立国家が生まれた。ロシア連邦では経済の混乱が一層進むなか、2000年に大統領はプーチンにかわった。チェチェン紛争などの諸共和国内の民族対立は未だおさまっていない。
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プーチン(第一学習社「最新世界史図表」より)
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(第一学習社「最新世界史図表」より)
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4 南南問題とAALA
1) 南南問題
 経済開発をすすめる発展途上国は、1970年代以降あらたな問題に直面した。先進工業国の企業が多国籍企業として進出すると、途上国の雇用拡大や技術移転がすすんだものの、公害の輸出や資源の乱獲などの問題が生じた。また、途上国のなかでも、経済成長をとげた国や資源のある国とそうでない国との経済格差が広がり、あらたな南南問題が生じた。
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(第一学習社「最新世界史図表」より)
2) 新興工業経済地域
 先進工業国の資本、技術を導入して急速に工業化した新興工業経済地域(NIES)である。このうちメキシコ、ブラジルなどは世界的不況の波にのまれたが、安価な労働力と高い教育水準をもつ韓国、台湾、香港、シンガポールなどアジアNIES諸国も急速に工業化をすすめた。
3) AALA
 アフリカやラテンアメリカの資源のとぼしい国々では、石油危機後、貿易赤字により累積債務がふくらみ、国家の破産状態が深刻になった。また、都市を中心に人口が爆発的に増加するなかで、飢餓や貧困から人々の生命の維持さえ困難な状態が生じた。
 西アジアでは、石油危機後、産油国がオイルマネーを集めて豊かになったが、あらたな対立が生まれた。エジプトのサダト大統領はアメリカに接近して1979年イスラエルと平和条約を結び、経済開放政策をとったが、内外の反発をまねき暗殺された。
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(東京法令「世界史のミュージアム」より)
 次回の第56回世界史講座は、6月14日(土)午後2時より開催します。(5月24日(土)の世界史講座はありませんのでお間違えなく)
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