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4 南南問題とAALA
1) 南南問題
 経済開発をすすめる発展途上国は、1970年代以降あらたな問題に直面した。先進工業国の企業が多国籍企業として進出すると、途上国の雇用拡大や技術移転がすすんだものの、公害の輸出や資源の乱獲などの問題が生じた。また、途上国のなかでも、経済成長をとげた国や資源のある国とそうでない国との経済格差が広がり、あらたな南南問題が生じた。
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(第一学習社「最新世界史図表」より)
2) 新興工業経済地域
 先進工業国の資本、技術を導入して急速に工業化した新興工業経済地域(NIES)である。このうちメキシコ、ブラジルなどは世界的不況の波にのまれたが、安価な労働力と高い教育水準をもつ韓国、台湾、香港、シンガポールなどアジアNIES諸国も急速に工業化をすすめた。
3) AALA
 アフリカやラテンアメリカの資源のとぼしい国々では、石油危機後、貿易赤字により累積債務がふくらみ、国家の破産状態が深刻になった。また、都市を中心に人口が爆発的に増加するなかで、飢餓や貧困から人々の生命の維持さえ困難な状態が生じた。
 西アジアでは、石油危機後、産油国がオイルマネーを集めて豊かになったが、あらたな対立が生まれた。エジプトのサダト大統領はアメリカに接近して1979年イスラエルと平和条約を結び、経済開放政策をとったが、内外の反発をまねき暗殺された。
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(東京法令「世界史のミュージアム」より)
 次回の第56回世界史講座は、6月14日(土)午後2時より開催します。(5月24日(土)の世界史講座はありませんのでお間違えなく)
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4) アフガニスタン紛争
 政情不安で内戦がつづいていたアフガニスタンでは、親ソ政権が成立すると、これにこたえて1979年にソ連軍が侵攻した。これに対し翌年、モスクワで開催されたオリンピックにアメリカや日本など各国はボイコットした。また、ソ連軍はアメリカ、中国などに支援されたイスラーム諸勢力の抵抗にあって、1989年には撤退をよぎなくされた。アメリカはイスラーム勢力のタリバーンに軍事援助をおこなったが、後にアメリカは軍事援助をおこなたタリバーンと争うことになる。
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(帝国書院「タペストリー」より)
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(帝国書院「タペストリー」より)
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(帝国書院「タペストリー」より)
5) イラン革命とイラン・イラク戦争
 イランでは、1953年以来、アメリカとの密接な連携のもとに国王主導の改革が行なわれてきたが、1978年夏には、民衆の不満が爆発し、ついに1979年には国王は国外に亡命した。同年、ホメイニなどのシーア派宗教指導者層が主導権をにぎり、イラン・イスラム共和国が成立した。イランは米国と鋭く対立しつつ民族主義的な政策をとり、国内では、イスラーム色を強めた。イラン革命は現代世界におけるイスラームの運動に強い影響を与えた。だが、1990年、イラクとの間に国境をめぐる紛争が生じ、両国は戦争に突入した。イラン革命の波及を恐れたアメリカなどがイラクに軍事支援を行なったが、双方とも決定的な勝利を得られないまま、戦争は、1988年に停戦となったが、この戦争をイラン・イラク戦争と呼ぶ。また、イラク、イラン、トルコ、シリアで少数民族の地位にあるクルド人の独立・自治を求める問題は、解決されていない。
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(帝国書院「タペストリー」より)
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(帝国書院「タペストリー」より)
6) サハラ以南のアフリカ諸国の問題
  サハラ以南のアフリカ諸国は、1980年代には、第2次石油危機の打撃を受けただけでなく、たえまない紛争と干ばつに苦しんだ。とりわけ、モザンビークやエチオピア、ソマリアでは、飢餓が発生し、多くの住民が犠牲となった。他方、南部アフリカ諸国では、困難な状況のなかでも植民地からの解放運動はつづけられ、1980年には南ローデシアが白人の支配を脱し、ジンバブエ共和国として独立した。最後に残った南アフリカ共和国も、世界的な非難と経済制裁のなかで、しだいにアパルトヘイト体制の変革をせまられた。1990年、南アフリカ共和国は、黒人解放運動の指導者マンデラを28年ぶりに釈放し、翌1991年には差別法を廃止し、1994年に行われた全人種選挙の結果、マンデラが大統領に選出された。
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(帝国書院「タペストリー」より)
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第55回世界史講座は、5月10日(土)午後2時から行われました。受講者は7名でした。
2 アメリカ外交の転換
1) 冷戦体制のゆるみ
 ヴェトナム戦争は、アメリカ経済に深刻な影響を与えた。そして、国際的威信を低下させたアメリカは、ソ連との緊張緩和をはかり、戦略ミサイルの数を制限する軍縮交渉である戦略兵器制限交渉(SALT)をすすめた。一方で、ソ連と対立する中国に接近し、1972年ニクソン大統領の訪中を実現させた。
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(帝国書院「タペストリー」より)
2) 米中国交正常化
 この間、中国は1971年には台湾の中華民国政府にかわって国連代表権を認められた。また、1972年には田中角栄首相が訪中し、日中国交正常化が実現され、1979年には米中国交正常化がおこなわれた。
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(帝国書院「タペストリー」より)
3 多様化する地域紛争
1) 中越戦争
 カンボジアでは、1976年にポルポト政権が成立し、中国と密接な関係をもちながら、農業を基盤とした極端な自給自足経済による国家建設を急激にすすめ、その過程で多数の国民が虐殺された。1979年、対立を深めていたベトナムがカンボジアに侵攻し、反ポル・ポト政権を成立させた。しかし中国はヴェトナムの影響力が周辺諸国に広がるのを恐れ、ヴェトナムに侵攻し、中越戦争となった。
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(帝国書院「タペストリー」より)
2) バングラデシュの独立
 パキスタンは、インドをはさんで東西に分かれていたが、東パキスタンが1971年にインドの支援でバングラディシュとして独立した。
3) スリランカの民族問題
 1972年にセイロンから国名を変更したスリランカでは、多数派の仏教徒のシンハラ人に対して、少数派ヒンドゥー教徒のタミル人が自治要求運動をおこし、分離独立をめぐって、両者の対立が激化した。
 スリランカの歴史と民族対立については、青木書店 歴史教育者協議会編集 「知っておきたいインド・南アジア」という本に私が書いていますのでぜひ読んで下さい。
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