<   2016年 10月 ( 8 )   > この月の画像一覧

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(リラの僧院)
 10世紀に聖イオアン・リルスキーによって創立された小さな僧院は、14世紀になると時の王の庇護のもとで僧院文化が華開いた。特に僧院の発展に大きな役割を果たしたのは領主ステファン・フレリョ・ドラゴヴォルである。彼は現在の修道院がある場所に防衛塔、現在と同じ場所に教会、そして修道士の居住室を建立した。その後、ブルガリアは約500年にわたってオスマン・トルコの支配下に入ったが、この僧院だけは、従来のまま保存された。
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(フレリョの塔)
 パンフレットによると「1833年1月13日に恐ろしい災難が修道院を襲いました。早朝から火事が勃発し、たった数時間で新築の木造建物が焼けてしまいました。助かったのはフレリョの塔とメイン教会の他、石造りだった東ウィングの一部だけです。居住室、食料品、衣服、布団、木製のスプーンでさえ、ことごとく焼けてしまいました。」と書かれている。
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(フレリョの塔)
 「リラの修道院を現在の形に再建できたのは、全国民が努力したおかげです。資金を提供する者がいれば、労働や技術で協力する者もいました。ただの大規模な建設現場ではなく、修道院は民族復興期の真っ最中にあるブルガリア国民の信仰、熱意、希望の焦点となっていました。数百人の建築家、画家、木彫り師などが自らの力を捧げました。」とパンフレットに書かれており、彼らの努力によってこの僧院は1983年に世界遺産に登録された。
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(僧院の北ウィング)
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(聖母誕生教会)
 パンフレットによると、「当時の教会は増えてきた参拝者を収容できなくなっていたため、新しいものを建てることになしました。中庭には2つの教会を同時に建てるほどの場所がなかったので、古い教会を壊すしかありませんでした。泣きながら壊したといいます。現在建つ教会堂は3年かけて(1834~1837年)建てられました。壁画などの内装工事は約40年間かかりました。」と書かれている。
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(教会の拝廊壁画)
 壁画には悪魔や天使がよく描かれている。上の壁画では聖職者の前で真実の告白をしている人の背後には天使がおり、嘘の告白をしている人の背後には悪魔がいることを表している。
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(教会の拝廊壁画)
 上の壁画では妻が夫に何かを飲ませおり、悪魔が喜んでいる様子を表している。
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(拝廊壁画 聖母子像)
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(拝廊壁画 天使と悪魔)
 私たちは教会にはいることができなかったので、パンフレットをスキャンしてその内部を紹介しよう。
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(教会中央のイコノスタシス)
 パンフレットによると、「教会のイコノスタシスは、規模にしても迫力にしても他のすべての装飾にまさるものです。胡蝶の木から造り上げたのは著名なサモコフ派木彫り師アタナス・テラドゥルと弟子です。刻まれた装飾は非常に豪華です。・・・ロココ・バロック、アンピール、ルネッサンスなどの様式の影響が伺えます。空前の精巧さと美しさを誇るこの作品を仕上げるには5年かかり、1858年に『当時手に入った最高純度の金』を施しました。総重量16キロの金箔が使用されたようです。」と書かれている。
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(イコノスタシスの一部と聖イオアン・リルスキーの聖遺物を納めた覆われた棺)
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(教会中央イコノスタシスの道を指す聖母子のイコン)
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(教会 聖ニコラオス礼拝堂に安置された、奇跡を起こす聖イオアン・リルスキーのイコン)



 
 
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 ボヤナ教会を見学した後、私たちはソフィア市内のホテルに戻った。夕食までフリータイムとなったので、私たち夫婦はホテルの周辺を散策した。ホテルの近くには近代的なソフィア中央駅があった。
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(ソフィア中央駅)
 駅の構内には古い蒸気機関車が展示されていた。
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(構内に展示されていた蒸気機関車)
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(広いソフィア中央駅の構内)
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(ソフィア中央駅の正面)
 次に私たち夫婦はブラダヤ川に架かるライオン橋を見に行った。
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(ライオン橋)
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(ライオン橋)
 私たち夫婦は 午前中に見学したバーニャ・バシ・ジャーミアモスクの近くまで歩いた。モスクの横には温泉が湧いており、人々は温泉のお湯をペットボトルに汲んでいた。
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(温泉が湧いている)
 
(観光2日目)
 10月12日(水)午前8時に私たちはバスでソフィアのホテルからリラへと向かって出発した。約128㎞、所要時間は約2時間の予定である。
 リラの僧院で購入したパンフレットには、「ドルシュリャヴィツァ川がリラ川へ流れ込む、昔からの森林に覆われた高い山頂に見守れれる要所に美しいリラの修道院がそびえ立っています。
 10世紀にリラの修道院を創立したのは、ブルガリア人聖者の中で最も尊敬される、ブルガリア人の守護聖者・聖イオアン・リルスキーです。千年もほぼ絶え間なく修行の拠点となった修道院は、東方正教、ブルガリア独自の文化の宝庫となりました。修道院は敬虔なペタル王の時代まで遡れる、ブルガリア国民が乗り越えた多くの試練の記憶を保っています。
 何世紀にも渡る修道院の歴史は、栄枯盛衰の繰り返しです。何回も放火や略奪に遭った修道院を支えてきたのは、中世時代の歴代王、そして民族復興期の敬虔なキリスト教徒の寄付です。オスマン・トルコ時代には、ロシア皇帝やモルドバ公の支援もありました。」と書かれている。
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(リラ僧院の入口)
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(リラ僧院)
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(リラ僧院)
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(聖イオアン・リルスキー)
 リラの僧院を創立した聖イオアン・リルスキーについて、パンフレットではつぎのように書かれている。
「聖イオアン・リルスキーがドゥプニツァ地方スクリノア村で生まれたのは、876年頃と考えられています。若い頃から孤独と祈りに浸っていた彼は、親の死後に全財産を人に配り、近くのルエン修道院で修道誓願を立て修行生活に入ります。しかし、まもなくすると、より閑静で修行にふさわしい場所を求めて修道院を去り、神の導きを受けながら様々な場所を転々とした後、当時はほとんど人気のないリラ山脈にたどり着き亡くなるまでそこで過ごしました。『たどり着いたリラの未開地、人が全くおらず、野獣だけが棲む近づきにくい土地だった。そして屋根も食事もない私は野獣とともに暮らし始めた。空が私の屋根となり、土がベッドとなり、草木が食べ物となった。』と『遺言』の中で聖者は語っています。大木の洞穴や洞窟を住み家にし、ときには岩山の上で『空腹、のどの渇き、猛暑、薄着の寒さ』に耐えながら、彼は祈祷、断食、不眠を続けていました。地から離れ、天に近づいた彼は、信仰心と敬虔さをもって彼の指導を求める者に心の安定と治癒を与えていました。
 リラに住む隠遁者の噂を敬虔なペタル王が耳にし、聖者に会い、その祝福を乞うことにしました。しかし山があまりにも険しいため王は直接行くことを断念し、家来達に果物と金の贈り物を届けさせました。聖イオアンは果物を受け取りましたが、金は返しました。・・・
 少しずつ、リラの隠遁者を囲んだ修道会ができてきました。修道士の人数が増えていくにつれ、別の場所で修道院の建立が益々切実な課題となりました。それが形となったのは930~931年頃とされています。聖イオアンが修行を重ねた洞窟は現在旧修行場という名で呼ばれています。その隣の石造教会に聖イオアンの墓があります。」と。
 
 
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 バーニャ・バシ・ジャーミヤというモスクの近くにセントラル・ハリと呼ばれる中央市場があった。
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(セントラル・ハリ)
 国会図書館か市庁舎を連想させるこの石造りの立派な建物が、1910年に建てられた中央市場である。1989年の東欧革命で営業が途絶えていたが、2000年にショッピングセンターとして新たに復活した。地上2階、地下1階の館内は、食料品店や雑貨品や土産物屋もある。1階には噴水があり、またフードコートには中高年の男性たちが椅子に座っていた。
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(中央市場の内部)
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(中央市場の内部)
 私たち夫婦は現地ガイドのルネさんが勧めるブルガリア産のワインをここで一本買うことにした。
 次に私たちバスでレストランへと向かったが、その途中車窓から国会議事堂広場の中央に建つ解放者記念像を見ることができた。
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(解放者記念像)
 この像はロシア皇帝アレクサンドル2世の騎馬像である。これは露土戦争の勝利によって、ブルガリアをオスマン帝国の支配から解放した英雄として讃えるために建てられたモニュメントである。
 昼食をとったレストランの庭には谷空木(たにうつぎ)の花がきれいに咲いていた。
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(谷空木の花)
 次に私たちはバスでボヤナ教会へと向かった。
 この教会はソフィア市内から南西へおよそ8㎞、ヴィトシャ山の麓に建っ世界遺産に指定されているブルガリア正教会の教会堂である。
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(ボヤナ教会)
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(ボヤナ教会)
 こんな小さな教会がなぜ世界遺産に指定されたのかというと、この教会堂の内部に1259年にフレスコ画によって描かれた壁画のすばらしさにある。従来の宗教画は写実性に乏しく様式化されていたが、ここのフレスコ画はより写実的で表現豊かに描かれており、中世ブルガリア美術の最高傑作として位置づけられている。
 教会堂の内部が狭いため私たちは3組に分けられ、教会堂には10人ずつ入ることになった。残念ながら写真撮影は一切禁止されていたので、ここで購入したパンフレットをスキャンすることによって壁画を紹介しよう。
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(ボヤナ教会の壁画)
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(ボヤナ教会の壁画)
 この教会についてブルガリア・オフィシャル観光サイトによると、「教会は、それぞれ11世紀、13世紀、19世紀半ばといった、3つの時期にわたり建設されたものです。最も古い壁画層は12世紀のものです。13世紀に、当時ソフィアの地方の領主だったカロヤン伯爵と夫人デシスラヴァの資金で、後には霊廟に使うために2階建ての部分が増築されました。二人が残した碑文によると、2回目の壁画が施されたのは1259年です。修復工事で名前が明らかになった二人の画家、ヴァシリエとディミタルが旧部分の壁画の上、そして新築の2階建てに壁画を描きました。ボヤナの教会が世界的に有名になったのは、ブルガリア中世美術の高水準を物語る1259年の壁画のためです。240枚ある絵の一枚一枚は個性が溢れています。資金提供者の伯爵夫妻とコンスタンティン・アセン・ティフ王(在位1257~1277年)と王妃のイリナの肖像は、歴史人物の肖像画でブルガリア最古のものとされています。」とある。
 このカロヤン伯爵夫婦を描いたフレスコ画が最も有名で、ガイドブックなどにも載せられている。
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(カロヤン伯爵夫婦の絵画)
 現地ガイドのルネさんによると伯爵の手にはこの教会がのっていると指摘されたが、確かにいわれてみればそのように見える。
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(国王と王妃の肖像画)
 ブルガリア・オフィシャル観光サイトによると、「拝廊では、教会の守護聖者の一人、聖ニコラの生涯場面が18枚描かれており、その中には画家を取り囲む当時の時代の現実が描かれています。」とある。
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(ニコライの肖像画)
 壁画には聖書に記された出来事が多く描かれている。
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「聖母マリアとキリスト 聖アンナ、聖ヨアキムと恩恵の手」
 この壁画は母子像を囲むようにマリアの母アンナ(右)、父ヨアキム(左)が描かれている
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(最後の晩餐)
 レオナルド・ダヴィンチの作品で有名だが、十二使徒と共に取った夕食の様子が描かれているが、この壁画には使徒は11人しか描かれていない。
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(キリストの変容)
 この壁画はキリストが、高い山で弟子たちを伴い白く光り輝く姿を示したという出来事を描いたものである。
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(全能のキリスト)
 全能のキリストが左手に福音書を持ち、右手は祝福の動作の形で描かれている。

 
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 次に私たちは聖ペトカ地下教会へと向かった。
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(聖ペトカ地下教会)
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(聖ペトカ地下教会)
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(聖ペトカ地下教会)
 この教会の正式名は聖ペトカ・サマルジースカである。ブルガリア・オフィシャル観光サイトによると、「教会は殉教者の聖ペトカを祀っています。ローマ時代神殿の跡に建つ教会は11世紀築のものです。現在も内部に残る壁画は15世紀末~16世紀初頭に描かれたものです。オスマントルコ時代のこの教会を鞍作り職人(サマルジー)が維持していたことから、サマルジースカという名称が付きました。」と書かれている。しかし、『地球の歩き方 ブルガリア ルーマニア』によると、「教会が建てられたのは、オスマン朝の治世下にあった14世紀」とあり、半地下式の教会となったのは「イスラム教全盛の世にあって、このような形を採らざるを得なかったキリスト教の教会は、さぞかし肩身の狭い思いをしていたことであろう。」と書かれている。また、ウィキペディアによると、「聖堂はオスマン帝国の支配下であった16世紀に登場し、かつての古代ローマの宗教施設の跡に建造されている。」とある。この教会が建てられたのが、11世紀なのか14世紀なのか16世紀なのかどちらが正しいのかわからない。おそらく建設時期をしめす確たる証拠がないのであろう。
 教会の内部は狭くて薄暗かった。そこには観光サイトに書かれていた壁画があったが、保存が悪く、あと何年かたてば壁画は消えてしまうのではないかと心配する。
 内部には宗教絵画が壁に飾られており、また、教会が販売しているのであろうか、絵画などの商品が展示されていた。
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(壁に飾られた宗教絵画)
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(絵画などが展示)
 次に私たちは古代ローマ時代のセルディカの遺跡を散策した。
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(セルディカの遺跡)
 セルディカの遺跡には古代ローマ時代の水道管と思われるものがあった。
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(古代ローマ時代の水道管か)
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(セルディカの遺跡)
 セルディカの遺跡からモスクが見えたがそのモスクの名前はバーニャ・バシ・ジャーミヤという。このモスクは1566年のオスマン朝時代にミマール・スィナンの設計によって建立されたものである。スィナンはオスマン朝内に81ものモスクを建てている。ところで、バーニャとは「風呂」という意味で、モスクの近くに中央浴場があることに由来している。
私たちはモスクの近くまで歩いた。
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(バーニャ・バシ・ジャーミヤ)
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(バーニャ・バシ・ジャーミヤ)
 モスクの横には中央浴場があった。
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(中央浴場)
 現地ガイドのルネさんによると、ブルガリアは温泉の国であり国内には600の温泉場があるということだ。中央浴場の温泉を無料で提供しており、女性が温泉をくんでいるのが見えた。
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(温泉をくんでいる)
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 次に私たちは大統領官邸を見に行ったが、官邸の前には衛兵が2人立っていた。
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(大統領官邸の衛兵)
 現地ガイドのルネさんが、もうすぐ衛兵の交代式が行われるというので、私たちはしばらく官邸前で待って衛兵の交代式を見学することにした。
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(衛兵の交代式)
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(衛兵の交代式)
 1989年の東欧革命によりブルガリアの共産党政権が崩壊し、現在はロセン・アセノフ・プレヴネリエフという人が「ヨーロッパ発展のためのブルガリア市民」という組織を基盤として大統領に就いている。
 大統領官邸のすぐ近くに聖ゲオルギ教会があった。
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(聖ゲオルギ教会)
 この教会はソフィア市で最も古い古代ローマ時代の建築物である。古代都市セルディカを愛したコンスタンティヌス帝の時代の4世紀の初め頃に建設されたと考えられている。ブルガリア・オフィシャル観光サイトによると「この教会堂は大統領府の中庭にあり、セルディカ古代城塞の遺跡から数メートルの地点にあります。正方形の基礎部分の上に円錐形の建物が建てられています。円錐形の部分は直径約9.5メートル、建物全体の高さは14メートルです。初めの頃、建物は公共施設として使用されましたが、ローマ帝国内でキリスト教が公認されると、多くの信者に洗礼を授ける為に教会は洗礼堂として活用されました。
ビザンツ帝国のユスティニアヌス帝時代の6世紀には教会堂に改装され、その時に最初の壁画が描かれました。また、ローマ皇帝ディオクレティアヌスによるキリスト教徒への迫害で、小アジアの地で3世紀に殉教した聖大致命者ゲオルギの名で呼ばれるようになったのも、同じ時期であると考えられています。」と書かれている。
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(聖ゲオルギ教会)
 聖ゲオルギ教会の近くには旧共産党本部の建物が見えた。
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(旧共産党本部の建物)
 旧共産党本部前の地下道には古代ローマ時代のセルディカの遺跡が展示されていた。
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(古代ローマ時代の遺跡)
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(古代ローマ時代の遺跡)
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 アレキサンダル・ネフスキー寺院の近くには聖ソフィア教会があった。
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(聖ソフィア教会)
 この建物は4世紀にあった4つの教会跡地にビザンツ皇帝のユスティニアヌスが6世紀に建てた教会である。ソフィアとはギリシア語で知恵を意味しており、ちなみに哲学の語源であるフィロソフィアとは知恵を愛するという意味からきているが、聖ソフィア教会はビザンツ帝国領の各地に数多く残されている。現地ガイドのルネさんによると、現在の首都ソフィアのあたりは古代ローマ時代にはセルディカと呼ばれていた。キリスト教を公認したローマ皇帝コンスタンティヌス帝は、「セルディカは私のローマ」というほどこの地方が好きであった。そして、コンスタンティヌス帝はこの地に教会を建てたが、同じ時期にコンスタンティノープル(現在のイスタンブール)にも教会が建てられたので、「聖ソフィア」という同じ名前が残されたのではないかと思われる。
 11世紀~14世紀の間にセルディカの「聖ソフィア教会」は司教の拠点となって知名度が高くなり、いつの間にかソフィアが都市名となった。首都ソフィアの名はここに由来する。
 アレキサンダル・ネフスキー寺院の近くには公園があった。
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(公園)
 この公園にはブルガリアの独立に大きな役割を果たした「シプカ峠の戦い」を記念する石碑があった。
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(「シプカ峠の戦い」で活躍した兵士の像)
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(「シプカ峠の戦い」を描いた祈念碑」)
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(「シプカ峠の戦い」を描いた祈念碑」)
 「シプカ峠の戦い」は、1877年に始まった露土戦争(ロシア・トルコ戦争)の一つで、バルカン山脈のシプカ峠でロシア・ブルガリア軍5000~7000の兵士とオスマン・トルコ軍25000の兵士が戦い、ロシア・ブルガリア連合軍が勝利してブルガリアはオスマンの支配から独立することができた。
 公園から5分ほど歩いていると聖ニコライ・ロシア教会が見えた。
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(聖ニコライ・ロシア教会)
 この建物は露土戦争後、ロシアによってオスマンからブルガリアが解放された後の1882年に破壊されたモスクの跡地に建てられたもので、ロシア正教会の建造物である。
 歩いていると立派なタイル張りの道路が眼についた。
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(タイルの道路)
 このタイルはブダペストからもたらされたものである。
 少し歩くと立派な建物が見えてきたが、それは元王宮で今は国立アートギャラリーとなっている。
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(観光1日目)
 10月11日(火)現地時間の午前9時30分(ブルガリアの時刻は日本より6時間遅い)に私たちはバスでソフィアの市内観光に出かけた。
 私たちの現地ガイドはルミアーネさんという大変ベテランの女性で、バスの運転手は通称ザレさんという大柄な男性であった。ブルガリア観光はこの2人によって行われた。
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(ブルガリア現地ガイドのルミアーネさん)
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(運転手のザレさん)
 ブルガリアの国土は日本の約四分の一で人口は730万人程度である。北はルーマニア、東には黒海、南にはギリシア、トルコ、西にはセルビア、マケドニアに接している。首都ソフィアの人口は約150万人で標高550mの高原に位置している。北にはバルカン半島、南にヴィトシャ山、西にリュウリン山と、周囲を山々に囲まれた盆地である。
 私たちが最初に訪れたのはアレクサンダル・ネフスキー寺院であった。
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(アレクサンダル・ネフスキー寺院)
 これはブルガリア正教会の大寺院で、ネオ・ビザンティン建築様式で建てられ、5000人を収容する世界最大級の正教会の寺院である。ブルガリアの独立のきっかけとなった1877年の露土戦争で戦死した約20万人のロシア人兵士を慰霊する目的で建立され、1882年に着工してから30年の歳月をかけ完成したのは1912年のことである。名称は中世ロシアの英雄であり正教会の聖人となった人物名からきている。
 寺院の写真撮影は現地通貨で10レバを支払わなければならなかった。ブルガリアはEU(ヨーロッパ連合)に加盟しているがユーロを採用していない。現地通貨の1レフ(複数形はレバ)は60円ほどで、私は写真代約600円を払って寺院内を撮影した。
 正教会の祭壇の前にはイコン(宗教画)に覆われたイコノスタスと呼ばれる壁がある。
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(イコノスタス)
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(イコノスタス)
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(イコノスタス)
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(イコノスタス)(イコノスタス)
 寺院内部には大主教と国王が座る特別な場所があった。
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(国王の座)
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(大主教の座)
 国王の座と大主教の座はどちらが立派であるか、明らかに国王の方が立派である。ローマカトリック教会では教皇はただ1人で、国王よりも権威をもっていた。しかし、正教会のもともとの始まりはギリシア正教会であり、ここではビザンツ皇帝が教皇を兼ねる皇帝教皇主義がおこなわれた。そのため、ギリシア正教会の流れをくむブルガリア正教会でも王権の方が権威を持っていたのではないかと思われる。
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 この旅行記は、私たち夫婦が「JTB旅物語 ルフトハンザドイツ航空で行く ブルガリア・ルーマニア10日間」のツアーに参加してまとめたものである。参加者は男性11名、女性19名で、夫婦8組、3人家族が1組、女性の友人2組、個人参加者の男性3人と女性が4人の合計30名という大勢のツアーであった。添乗員さんはベテランの女性でツアー参加者と一緒に食事をしたり、大変フレンドリーな人であった。また、参加者は旅慣れた人がほとんどで、なかには月に一度は海外旅行に出かける人や個人で海外旅行に行く人もいた。今回は少し天候には恵まれなかったが、素晴らしい世界遺産の見学だけではなく、美しい自然の風景や旅慣れた人達との有意義な会話など、大変楽しい旅行となった。
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(添乗員さんが作製)
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(添乗員さんが作製)
(旅程)
第1日目  関空 10時25分出発(所要時間 約11時間40分)→ フランクフルト着14時45分 
       フランクフル出発16時40分出発(約2時間10分)→ ソフィア着20時05分
        ホテル到着20時30分
第2日目  ソフィア観光
第3日目  ソフィア→ リラの僧院観光→ プロブディフ観光→ カザンラク
第4日目  カザンラク観光→ ベリコ・タルノボ観光→ ブカレスト
第5日目  ブカレスト観光→ シナイア観光→ ブラショフ
第6日目  ブラン城見学→ ビエルタン要塞教会見学→ シギショアラ観光
第7日目  シギショアラ→ マラムレシュ地方の木造教会見学→ バイアマーレ
第8日目  バイアマーレ→ サプンツアの陽気な墓を見学→ ブダペスト
第9日目  ブダペスト空港 9時35分出発→ フランクフルト到着11時20→ フランクフルト出発13時30分
第10日目 関空到着 7時20分
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