4 米騒動
1)米騒動の原因
 第一次世界大戦の好景気で農村の過剰人口は都市産業に吸収され、農産物価格も上昇して農家収入は増大した。しかし、同時に生活必需品の物価も上がったので、収入増加のわりに農家の家計は楽にならず、貧農層はかえって生活が苦しくなった。都市でも大戦景気による成金が生まれる反面インフレーションの進行によって労働者の生活はおびやかされた。特に大戦が長びくと軍用米の需要が増えたためもあって、1917年ごろから米価はしだいに上昇し始めた。1918年に入ると、寺内内閣のシベリア出兵を当て込んで米商人が米の買い占めを行ったので米価は急上昇し、庶民の生活は一段と苦しくなった。
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(東京法令「日本史のアーカイブ」より)
2)米騒動の経過
 米騒動は富山県の魚津の町から起こったが、その背景について、鹿野正直氏によると、「たちあがったのは漁民の主婦たちである。その漁民町は、…神明川の北側と角川の南側のつまりいずれも、町の中心をはさんでの両側にある。…このあたりの漁民たちは、当時、北海道・樺太の遠洋漁業などにでかせぎにいって留守だった。…しかもこの年は、出稼ぎ先の漁獲が豊漁だったにもかかわらず、あるいは豊漁であったためにかえって、魚価がさがり、家族への送金もままならぬ状態においつめられていた。そうしたところへ、とくにこの年になってからの米価の暴騰であった。…生活の破綻はだれの目にもあきらかであった。…しかも神明川と角川にかこまれた中央部では、米屋や米問屋の好況がめだった。魚津の町はこうして、川うちの好況と川そとの窮乏とがいちじるしい対比をなす町となった。この魚津が米騒動発祥の地となるにはこうした条件があった。」(小学館「日本の歴史27」より)と指摘する。
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(東京法令「日本史のアーカイブ」より)
 魚津の漁民の主婦たちは、米の県外搬出を拒否し、その安売りを要求する行動をおこすとこの「越中女一揆」の報は新聞によって全国に報道され、8月には各地に米騒動が広がった。都市の大衆や貧農などは、米の安売り、富商の買い占め反対を叫んでデモンストレーションをおこない、あるいは米商人・富商・地主・精米会社を襲って警官隊と衝突するなど、東京・大阪をはじめ全国36市・129町・145村で騒動が起こり約70万人がこれに参加するという大騒動となった。
 政府は外米の輸入や米の安売りをおこなうと同時に、軍隊までくりだしてその鎮圧にあたり、1か月ののち、ようやく米騒動はおさまった。しかし、寺内内閣は世論の激しい非難の中で、同年9月に退陣した。米騒動は自然発生的で、組織的なものではなく、一定の政治的目標をもたなかったが、その規模はかつてなく大きく、その後の労働運動・社会主義運動の発展に大きな影響を与えた。
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(東京法令「日本史のアーカイブ」より)

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