3 大東亜共栄圏の実像
1)大東亜共栄圏とは
 日本は、日中戦争が長期化するころから、日本・満州・中国に、あらたに東南アジアを加えた地域を、欧米の植民地支配から解放して、それぞれの民族を独立させるための「大東亜共栄圏建設」を主張し始めた。「大東亜共栄圏」は第2次近衛内閣の外相松岡洋右の造語で、1940年8月、彼は、欧米による植民地支配の打破と、アジア諸民族の解放のために、日本と満州、中国が協力して、防共・新文化を創造し、東亜(東アジア)に共存共栄の新秩序「大東亜共栄圏」を確立しようと訴え、国民に南進策の正当性をあおった。しかしそこでは、諸国家・諸民族間の平等な国際秩序ではなく、日本を盟主としたピラミッド型の階層的な秩序を想定したものであった。
2)皇民化政策
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(三省堂「日本史B」より)
 朝鮮では、戦争のための人と物資の供給基地とみなされ、神社参拝や学校での日本語の強制使用など、大日本帝国の臣民として一体化するための皇民化政策が徹底された。1939年には名前を日本風に改めさせる「創氏改名」が強制され、1944年には徴兵制がしかれ、1945年には台湾にも適用された。女性も、挺身隊に組織されて軍事工場などで労働に従事させられたり、日本軍兵士のための慰安婦としてフィリピンなどの若い女性とともに戦地に送り込まれた。日本は抵抗する人々を弾圧しながら、多数の朝鮮人と中国人捕虜を炭鉱や鉱山などの労働者として強制連行するとともに、日本で不足する米を朝鮮・台湾から強制的に供出させた。満州でも皇民化政策が推進され、戦争や資源開発のために動員されていった。
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(三省堂「日本史B」より)
3)東南アジアの支配
 東南アジアでは、日本は、かいらい政権をつくって軍政をしき、朝鮮や台湾と同様に神社参拝や日本語の普及などをすすめた。そして日本軍は、石油や鉄鉱石、ゴム、木材などの戦略物資を強制的に取り上げるとともに、米などの生産強制や人々を動員していった。しかし東南アジアでは、植民地を支配していたイギリスやオランダなどに従属しながらも、ジャワ島では砂糖などを、マレーではゴムや錫鉱石などを輸出し、タイやビルマから米を輸入するという独自の経済圏が発達し、その流通の中枢を握っていたのは華僑であった。そのため、日本と深く結びついて植民地支配された朝鮮や満州とは異なり、東南アジアの経済の仕組みを崩壊させた。米を略奪されたヴェトナムでは飢餓も加わって甚大な被害を与え、シンガポールでは華人虐殺事件を起こした。

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