第64回日本史講座は、7月22日(土)午後2時より受講者9名で行われました。
4 世界恐慌と昭和恐慌
1)世界恐慌
 1929年10月24日、アメリカのウォール街で株式相場が大暴落したことをきっかけにアメリカで恐慌が始まった。恐慌の原因は、第一次大戦以来の生産過剰による企業の経営悪化によるものである。その結果、アメリカはドイツやイギリスから資本を回収したため、ドイツの賠償金支払いが滞り恐慌は世界に波及し世界恐慌となった。
 アメリカでは会社・銀行の倒産するもの2万をこえ、失業者は500万人におよび、1933年には一時、全銀行が休業するほどであったから、その激しさは空前のものであった。
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(三省堂「世界史B」より)
2)昭和恐慌
 1929年に「満州某重大事件」により退陣した田中内閣にかわり、民政党の浜口雄幸内閣が成立した。浜口首相は、大蔵大臣に井上準之助をすえ、外務大臣に幣原喜重郎を復帰させて、日本経済の立て直しと日中関係の改善に取り組んだ。井上大蔵大臣は、欧米にならって、1917年から停止していた金の輸出を解禁して金本位制に復帰しようとして金解禁をおこなった。
 日本の金解禁は「嵐のなかで雨戸をあける」ような状態となり、輸出振興どころか、輸出は激減して入超がひどくなり、とくに金の流出が激しくなった。わずか2年間で7億3000万の金が流出し、日本経済は深刻なっ恐慌状態におちいったが、これを昭和恐慌と呼ぶ。まず、アメリカ向けの重要な輸出品であった生糸の価格が大暴落し、硫安・セメント・銅などの重化学工業製品や綿糸などの輸出品の価格も暴落した。企業の倒産や生産の縮小があいつぎ、物価や株価も激しく下落した。
 恐慌の打撃は農村においても最も深刻であった。家計を助けるために都市に出稼ぎに出ていた農村出身の労働者は職を失って帰村したうえ、米価をはじめ農産物価格の暴落によって農家経済は苦しくなった。とくに生糸の輸出が激減したため、繭の価格が暴落し、農村の副業である養蚕業は壊滅的な打撃を受けた。生活の苦しくなった中小地主は土地を手放したり、小作地を取り上げようとし、各地で小作争議が起こった。
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(小学館「日本の歴史30」より) 
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(小学館「日本の歴史30」より) 

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